日本とロシア-箕作阮甫・秋坪の対露交渉-

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津山洋学資料館 春季企画展
日本とロシア-箕作阮甫・秋坪の対露交渉-  会期:2月20日(土)~6月19日(日)
◆嘉永6(1853)年、日本との開国交渉を行うため、ロシア海軍提督プチャーチンが長崎に来航しました。その対応使節の一員として津山藩医箕作阮甫が派遣され、外交文書の翻訳や外交交渉における助言などを行っています。また、その養子秋坪は幕末に2度ロシアを訪れ、国境交渉に携わりました。今回の企画展では2人の業績を中心に、日本とロシアのかかわりがご紹介します。
◆主な展示資料...「北蝦夷地異国船渡来御届書」「魯西亜人之図」「別段風説書」「長崎表江ヲロシア舟渡来之事」「魯西亜蒸気船之図」「魯西亜書簡和解」など(文:津山洋学資料館)

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これが当時の日本地図です。           三国通覧図説 付図(天明5(1785)年 林子平
 林子平が著した江戸時代の地理書。三国とは日本に隣接する、朝鮮・琉球・蝦夷のことです。この頃はまだ「ロシア」があることは知られているものの、国としてはっきりとは認識されていないことがわかります。

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プチャーチンの来航
 以前より日本との交易を願っていたロシアはたびたび、使節を派遣してきましたが、そのつど日本側に拒否されてきました。
  1852年日本との交渉担当を命じられたエフィーミー(エフィーム)・ヴァシーリエヴィチ・プチャーチンは、シーボルトの勧めに従い、紳士的な態度を見せ るために、当時日本唯一の窓口であった長崎へ、1853年7月18日に来航しました。軍艦バルラダ号のマストに「おろしあ国」と日本語で記し、必要以上に 日本人を刺激しないようにして入港します。その後、役人にロシア皇帝からの書簡を手渡し、交渉開始を待ちますが、クリミア戦争の影響で、一時撤退しまし た。12月に再度来航し、江戸から派遣された使節と交渉を開始しました。

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魯夷地に住み着いたロシア人             箕作省吾の世界地誌  

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長崎に来航したロシア軍艦(魯西亜国蒸気船之図 幕末)
 ロシア軍艦ディアナ号が長崎に入港した際の様子を伝えいます。マストに平仮名まじりで「おろしや国」と掲げ、日本の役人たちを刺激しないようにしていますが、砲門は開いており、用心しながらの入港であったことがうかがえます。



箕作阮甫が長崎滞在中のエピソード

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三宝寺(さんぽうじ)箕作り阮甫が長崎滞在中、宿舎としていた浄土宗の寺院。嘉永6年12月9日から約40日間この堂宇で外交文書の翻訳を行い、夜になれば同行の弟子武田輩三郎らと杯を傾けつつ、蘭学の話に興じました。
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一力(いちりき)阮甫の宿舎であった三宝寺から徒歩数分の距離にある料亭で、現在も同地で営業しています。阮甫は度々この店で開催された酒宴に参加しています。シーボルトの娘おイネと初めて面会したのもこの店です。

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阮甫の経験した大地震、箕作阮甫書額装扇面、安政元(1854)年
 安政元年の安政東海地震について阮甫が詠んだ漢詩。地震の凄まじさやロシア船が津波により避難した様子が描かれています。




その後の日露関係 
 日露和親条約の締結後、安政5(1858)年には日露修好通商条約が結ばれ、日本とロシアの通称はスタートしましたが、両国間の国境については妥結に至りませんでした。そこで、文久元(1861)年と、慶応2(1866)年の2度にわたり、幕府をロシアに使節を送りました。しかし、このときもやはり不調に終わってしまいます。この2度の国境交渉の両方に箕作秋坪は通訳係として参加しました。

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ヨーロッパ派遣中の箕作秋坪写真           横浜開港後の情勢書上




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久原躬弦関係資料 
「化学遺産」に認定!!
 津山出身の化学者久原躬弦の関係資料が、公益社団法人 日本化学会の定める「化学遺産」に認定されました!「化学遺産」とは、同学会の化学遺産委員会が、化学と化学技術に関する資料のうちで特に貴重なものを、次世代への継承や化学に関する学術と教育の発展に資するために、認定するものです。
 久原躬弦は、東京大学理学部化学科を第1回生として卒業し、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学に留学後、東京大学教授や京都帝国大学の第4代総長などを歴任しました。日本の理論有機化学の草分けであり、その研究は世界的に注目されました。
 また、1878(明治11)年の化学会(現在の日本化学会)の創設にあたっては、推されて初代会長に就任しました。明治期日本化学の先駆者として、その業績は高く評価されています。

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久原躬弦の関係資料

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久原躬弦の関係資料


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 この度、洋学資料館で「夏休み子ども実験教室」を指導・実演をしていただいています、津山高専の廣木一亮准教授が、(一社)日本化学連合より「化学コミュニケーション賞(個人)」を受賞されました。
廣木先生には平成24年から同校の佐藤誠教授とともに、津山藩医宇田川榕菴が著わした江戸時代の化学書『舎密開宗』中の実験を再現していただいています。授賞理由は「舎密開宗の再現実験を通じた津山洋学の普及・啓蒙活動」です。
 また、3月8日には津山出身の化学者・久原躬弦の関係資料が(公社)日本化学会の「化学遺産」に認定されたことが発表されました。久原躬弦は津山藩医久原洪哉の長男で、東京大学理学部化学科を第1回生として卒業。1878(明治11)年には化学会(現在の日本化学会)の創設にあたり、初代会長となりました。東京大学教授などを経て京都帝国大学教授となり、後に第4代総長にも就任しました。日本の理論有機化学の草分けとして知られており、日本で行われた研究が世界的に注目された例は数少なく、明治初期における科学の先駆者の業績として高く評価されています。
 同時期に『舎密開宗』と久原躬弦関係資料という、化学関連の受賞が相次ぎ、津山の「洋学」が認められたようで、とても喜ばしいことです。

 
※一般社団法人日本化学連合 
 我が国の化学および化学技術関連学術団体の連合体として、化学と化学技術の新興を通して社会に貢献する為に、平成19年、化学系17学協会が連携して発足した団体。平成22年より一般社団法人。

※公益社団法人日本化学会
 1878年(明治11年)に創立され、現在会員数約3万名を擁するわが国最大の化学の学会。初代会長は久原躬弦。化学・化学技術の知識を進展させ、人類の発展と地球生態系の維持とが共存できる社会の構築を目的とする。


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津山洋学資料館内の図書室

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津山洋学資料館の花たち