虎さんと狐『山西の民話』

tora.jpg

虎さんはつりずきの人でした。
或る秋の夕方から大川へ鯰(なまず)をつりに出かけました。
今夜はとてもマンがよく五匹もつれました。もう12時近かったので、きりあげて帰りかけました。
ビクの中で鯰(なまず)もはねていたのをおぼえています。
鹿の子の道を回って、明るい十六日のお月様がでていました。

鹿の子のたんぼもほの明るく、仲秋の名月でこんな夜ふけに稲刈りをしていました。
「順やん」だと思いましたがおかしい、順やんのたんぼは、この辺にはないのになぁと思いました。


順やんはせっせと稲刈りをしていました。

虎さんは、
「今晩は、えろうせいを出すなぁ」
声をかけましたが、順やんは向こうをむいたまんま返事もせずに、せっせと鎌を動かしていました。
ちょっとおかしいなぁー、
順やんのたんぼではないのにたのまれたかなぁと思いながらそのまま通りすぎて行きました。

少し行くと順やんの田んぼがありそこで働いておりました。


また、ちょっとだけ行くと順やんの田んぼがあり、
順やんが向うむきで、声をかけてもものも言わずにせっせと鎌を動かしていました。


行っても行っても順やんの田んぼばかりがあり、そこで順やんは黙々と働いておりました。


山西村(詳しくは旧名苫田郡高野村大字高野山西、現在津山市高野山西)の昔の姿を伝えたい念願から、この稿を起こしたものである。
 老人の懐古趣味だと笑うだろうが、私も喜寿の齢ををこして、余命いくばくもなしと思うと、何かしら、山西村の文化遺産が消え去ろうとしている様な錯覚が出て、おしまれる様な気がしてならんので、思い出をつづりました。まだまだあると思うが、一応この辺で打ち切りました。
 これらの民話は、私の子どもの頃、祖母が折にふれて物語ってくれた話をもとにして書いたものである。大方の皆さんの御指導と御批判を頂きたいものである。          
1985年7月1日著者しるす。故高橋明治(たかはし・あけはる)/明治39年3月22日津山市高野山西生まれ