
昭和初期の神傳流の記録写真と背景

安岡町の河川敷で祀られるお地蔵様

津山の夕日に魅せられて。

安岡町

約100年前の古き良き時代(大正元年~昭和9年頃)の神傳流の記録写真
田中義男さんの遺品の中にあった、昭和の初期から10年間ほどの神傳流の記録写真がありましたので一部をご紹介してみます。(神傳流とは、日本泳法の一流派。加藤清正の臣、貴田孫兵衛統治を流祖とし、伊予国(愛媛県)大洲藩士加藤主馬光尚に伝えられ、美作国(岡山県)津山藩士植原六郎左衛門正方が広めた。あおり足を基本とし、真・行・草の三体の泳法があり、遠泳に適する。皇朝神征水軍練法ともいう。)コトバンクによる。
田中義男さんは子供のころから熱心に神傳流を続けていて指導者の資格も取得し、大学が休みになると帰ってきては子ども達を指導をされていました。
アルバムを拝見しながら背景に写っている風景からして、茅町や安岡町あたりでしょうか?いずれにしても昭和初期はこんな風景だったのだと。
昭和2年度(1927) 昭和2年度(1927)
昭和2年(1927)度余興「桃太郎」
昭和4年度(1929)
昭和5年(1930)大会当日の様子
昭和5年(1930)大会当日の様子
昭和5年度(1930)余興「扇ノ的」
昭和5年(1930)8月 昭和7年(1932)8月津山実科高女水泳選手
昭和7年度(1932) 昭和7年(1932)8月津山高等女学校水泳部員
昭和8年(1933)9月西部遊泳場
昭和9年度(1934)余興(河童祭り)中部演 大正15年度(1926)余
昭和9年(1934)8月
ここはどこ? 筏の上で相撲をしていたのでしょうか?
安岡町にお住いの廣本 慎太郎さんによれば、
「昭和5年と言うことは、100年近く前ですね^_^ おそらく安岡の水練場だとは思います。飛び込み台のあった場所は、旧石居釣具店の裏あたりらしいので、二階建ての建物は石灯籠のある家ではないかと思いますね。子供たちが飛び込んでるカットを見れば現在の川並とほぼ同じなので、間違いないと思います。」
(2021年8月編集)