行啓道路(津山市山下)

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 津山警察署前約半丁許の處より、東方鶴山城址櫻の馬場に直通坂路、長百四拾三間五分・巾三間の改修道路は大正15年5月23日津山城址に行啓あらさらるる 東宮殿下奉迎のため津山町が熱誠を捧げ工費約五千圓を投じ(同年4月10日起工・同4月30日竣工)修築したるものにして、行啓の當日、生徒児童並びに一般拝観者は該道の両側及び其の付近に於いて謹んで拝観の光栄に浴することを得たり。故に人呼んでこれを行啓道路云ふ實に宜なりといふべし。因に道路改修以前は、奮城の周濠を田地となせし水田にて奮郡役所の北方は一段高き土堤の上に数軒駢列せる住宅ありしを撤去せしめ其の地を掘り下げ、以って水田を埋め田町より直線の新道を開設せしものなり。

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現在の行啓道路「津山城址から田町を望む」      「田町から津山城址を望む」



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昭和天皇の行啓(写真:苫田郡誌より抜粋)
 大正15年5月23日午後零時30分津山駅に御着、自動車に召させられ鹵簿を正させ給うて、今津屋橋通りより京町・堺町通りを経、新魚町角を右に折れ、元魚町通りを北に向ひ、裁判所前通りに入り、津山警察署前方にて右に折れ、苫田郡役所の北側新設の坂路を東に向はせ給うて、鶴山城址松の壇下通りを経て、午後零時37分鶴山館下に御着、御徒歩にて鶴山館に進ませ給ひ、鶴山館玄関前に於て、有資格者に列立御賜謁の後、苫田郡長小沼敬三郎・津山町長飛田謙藏等御説明を申上げ、館内に陳列したる美作五郡小学校児童・職員及び實業補修学校生徒の製作品・栽培品・津山町物産・奮津山藩主松平子爵家所蔵の甲冑等を御臺覧遊ばされ、尚ほ歩を本丸址に進めさせ給ひ、鼓櫓・粟積櫓址に設けたる御休所に御少憩、津山町及び其の附近の光景を御展望、種々御下問等遊ばされたる後、午後1時32分鶴山館下にて御乗車、松の壇下通り・裁判所前通りを経て、午後1時37分津山中学校に成らせられ、直ちに運動場に進ませ給うて、在郷軍人・青年団員・女子青年会員・中等学校・實業補習学校男女生徒及び職員に御親閲を賜ひ、奉迎歌及び万歳三唱を受けさせ給うて、午後1時52分同校御発、御往路と同様の路を経て御歸還の途に上らせ給ひ、午後2時津山駅御発車、御機嫌麗しく鐵路岡山に向はせ給へり。午後3時50分、岡山県御発車、第六高等学校に行啓せさせ給うて、午後4時45分御泊所に御着あらせられ、其の翌24日午前8時岡山県御発車、鹿児島県に向はえ給へり。

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昭和天皇の来津時の様子(写真:苫田郡誌より抜粋)

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昭和天皇の来津時の様子(写真・文:苫田郡誌より抜粋)2015年7月24日



大正天皇の行啓
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 殿下には、10月18日午前7時45分、後楽園なる御泊所御出門、中国鉄道に由りて駕を進めさせられ、午前9時50分津山駅(現今の津山口駅)に御着、境橋通りより西寺町を右に、西今町を経て、翁橋東詰より田町竹の馬場・田町中筋・裁判所通りを御通過、津山中学校に成らせられ、少時御休憩の後、地方高等管及び同待遇者に拜謁仰付けられ、運動場に於いて同校生徒の体操を御臺覧の後、御晝飯を召され、午後1時20分同校御出発、北松原を経て衆楽園に成らせられ、少時御徒歩にて園内を御循覧、時恰も老楓深紅に燃えて妍を競へる紅葉島御僻舎にて御少憩、園内の風光を臠はせられ、御機嫌殊に麗はしく、旋て御歸還の途に就かせ給ひ、北松原を経て、裁判所通りを南へ、現在津山郵便局前より二丁目・三丁目・坪井町・宮脇町を経、曩の御往路を過ぎりて津山駅に御着、午後2時10分、同駅発の御召車にて、岡山御泊所に御還啓遊ばされたり。

 尚ほ当日、殿下には鶴山城址には行啓遊ばされず、特に、津山中学校行啓先より、大迫子爵を城址に遣はし給へり、子爵は津山町長矢吹金一郎の案内によりて、城址南入口より本丸址に登り、津山附近の状況及び城址、建物の跡等を観たる後、舊北御門道よりより直ちに衆楽園に赴き、殿下の御成りを待ちて再び供奉に従へり。
当日は一碧拭ふが如き秋日和にして、今回の無上の光栄に感激し、殿下を奉迎送申上たる者は極めて多数に上りたる。

(文:苫田郡誌より抜粋)2015年7月24日

※行啓=太皇太后・皇太后・皇后・皇太子・皇太子妃・皇太孫が外出すること。



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平成天皇も皇太子の頃に来津されました。(写真:編集者父のアルバムより)