
皆戦場〔合戦場〕(草加部)

津山の今昔を辿ってみました。(1)

行啓道路(津山市山下)

明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

現在多くの場所に、昔の街道沿いに配置されていた道標が残っていますが、河辺町内でも数カ所に残されています。
この道標が、真加部街道の起点で、田熊・植月を経由し真加部までの信仰・農耕・年貢輸送の道でした。
兼田橋東詰めには、国分寺道の道標が残っており、当時国分寺へのメイン街道としての、大きく立派な石碑が建てられています。道標は、他にもまだ点々と多く残っているものと思われます。(河辺の史跡・作成:河辺親和会・河辺町内会より)2014.5.18
上の町中央付近には、長尾山への道標が有ります。
この道標が、真加部街道の起点で、田熊・植月を経由し真加部までの信仰・農耕・年貢輸送の道でした。
西坂石碑は、国分寺道の石碑で、国分寺の住職により建てられたものと、伝えられています。
平尾地区の道縁には、丁石も残っています。
松風庵(火伏十一面観音菩薩)