天台宗 寶壽山 多福寺(上横野)
寺史略伝 (出典・・寺内古文書・苫田郡誌 他)
本尊 地蔵菩薩(木像 坐像 厨子内) 内仏(位牌堂) 薬師如来(木像 坐像)
清和天皇の御代、貞観2年(西暦860年頃)天台宗の開祖 伝教大師の弟子天台宗第3世座主 慈覚大師円仁が唐より帰朝、巡錫のみぎり美作地方に48ヵ寺を建立された。多福寺はその1つであると伝えられている。
応永年間(1390年頃)住職覚円は学徳共にすぐれ、寺門おおいに繁栄し山内の数房あり、安養房、林房、竹本坊、大門、総門、鐘撞堂などの地名や呼称の地が存在しているところから、この頃の多福寺の位置は現在の「奥谷」よりまだ奥で、横野の滝近くの地にあり、大寺であったことが想像される。
寛永年間(1602年頃)丹純和尚の頃更に寺門興隆したと言われている。(撮影2016年6月26日)
近年主な住職は、円戒法印、醍醐寂光(明治初期)、安住院快全(明治中期)、大正・昭和以後は斉藤定寂、寺田智弘、斉藤寂光、岡本光盛、清田寂潤、清田玲寂等々である。(資料提供:地蔵院 清田玲寂様)
梵鐘
境内
本堂
境内 参道の階段
隣には上田手漉和紙工場があります。