森藩政下に移転 山上がりした真言宗の髙福寺

koufukuji22.jpg

林田 清應山髙福寺のたたずまい 津山市街東部 野介代の丘陵山麓に清應山髙福寺が所在している。
津山東部では数少ない真言宗の寺院であり、津山市林田667に位置し、町内会は林田山根分に所属している。寺を象徴する大屋根の庫裡、客殿、大師堂や安永年間建立の本堂を始め、鐘楼堂、薬師堂、境内墓地、さらには裏山に四国八十八箇所巡りのミニ霊場を設けるなど、真言宗の必要な設備を全て備えた寺院らしい境内である。

koufukuji1.jpgkoufukuji26.jpg

江戸時代の寺院 江戸時代の寺院を調べるにあたって、その政治的社会的役割が前の時代と大きく異なっていることを心しておく必要がある。
 本来、寺院は空海の開いた高野山(金剛峯寺)や最澄の比叡山(延暦寺)のように、人里離れた山岳部仏教があるべき姿なのに、江戸幕府は宗教政策として全ての住民を寺に登録する寺請制度を設けた。戸ごとに住民を宗門人別帳に記載させ、宗門人別帳を戸籍簿代わりにしたことにより、住民たちは、出生、縁組、相続、死別 さらには旅に出るときさえ寺への登録や証明(寺請状)が必要となり、寺院は身近で深い関係を持つに至った。
さらに、寺院は役所的な役割のみならず、年間を通しての宗教行事や年中行事等地域と密接に関わり、地域における集会、教育・文化の拠点であった。

koufukuji2.jpgkoufukuji3.jpg

森藩政下寺院の山上がり
江戸時代の初め、本寺院は加茂川と吉井川の合流点付近の氾濫原で、今にして「古屋敷」という地名の箇所にあったといわれている。
寺跡を物語る地名がないことから、小さな僧堂のようなものではなかったかと考えられている。
 周知のように森藩は、新田開発等のため17世紀の半ば頃より平地村落の山地移転といういわゆる山上がり政策を積極的に推進していった。寛文4年(1664)の河辺村57戸こぞっての移転は有名であるが、ここ氾濫原の川崎村では、寛文年間の頃から野介代丘陵への移転が進められた。

koufukuji23.jpgkoufukuji20.jpg

 移転については住民は不服で容易に応じないため、野介代村の大庄屋香山太郎兵衛が身を挺して説得にあたり苦労した話も残されている。
ところが、 貞享元年(1684)の大洪水があり、甚大な被害が出るに及んで、森藩は当地の移転を断行した。結果的に川崎村200余戸がこの機会に山際の野介代に移転 することになった。八幡神社と同様に髙福寺も川崎村集落の移転に連動して移ることになり、貞享2年(1685)に現在地に移されたといわれている。異説も あるが、諸史料から貞享2年は確実視されている。(「髙福寺落慶記念誌」)

koufukuji21.jpgkoufukuji6.jpg

玄関先には竹の鉢にお花が綺麗に植えられていました。

koufukuji4.jpgkoufukuji16.jpg

現髙福寺創建の立地
移転した髙福寺の最初の法印は、快宗とされている。
なぜ、川崎と離れて林田分になったか、村の八幡様は同じ村落地内に とどめることを要するが、寺院となると壇信徒は川崎村とは限らない。さらに髙福寺は、城西地区にある愛染寺と深い関わりがあり、むしろしばらく末寺の関係 にあった。真言宗寺院の少ないことからバランスを考えて林田地内に設定されたのではないかといわれている。

koufukuji14.jpgkoufukuji13.jpg

髙福寺の盛衰 
壇教信徒に支えられている寺院は、世の趨勢・社会変動によりその盛衰は大きな影響を受ける。移転後、数十年は総ケヤキ造りの本堂の建 立を見るなど発展期にあった。しかし、江戸末期のたび重なる凶作飢餓、とりわけ天保の大飢饉は西日本を襲って悲惨を極め、髙福寺も無住かそれに近い状態に なったという。明治維新後の廃仏毀釈運動などの苦難を経過して寺院がようやく回復復興したのは明治の半ば過ぎてからでである。現在の寺院の姿は、平成4年の庫裏、大師堂の大規模改築・改修によるものであり、その後の平成のあゆみは、第二の髙福寺の興隆期を迎えたと見なされている。(文:美作の歴史を知る会 宮澤靖彦)

koufukuji11.jpgkoufukuji10.jpg

本堂は総て欅材により作られており、特に格天井は狩野如林乗信の作で草花の絵132枚から成っており秘められた寺宝として保存されている。
大変見事な絵で、 ぐるりと見渡すと十二支の彫り物もあります。

koufukuji15.jpgkoufukuji9.jpg

裏にもサルスベリの木があり、可愛い花が咲いていました。

koufukuji8.jpgkoufukuji7.jpg

裏は借景を生かした庭があり、苔むしております。

koke2.jpgkoke4.jpg

階段付近の苔が素晴らしい!(2014年9月13日取材)

過去の取材:清應山 高福寺本堂格天井画は、狩野如林乗信 作