
津山の今昔を辿ってみました。(1)

明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

徳守神社 摂社「住吉神社社殿」

明治27年(1894)美作津山市街図

お花の宮は、正式には「お花善神」です。むかし、勝間田(今の勝央町)にお花という美しい娘があり、津山藩森家の重臣原十兵衛の屋敷に行儀見習いの奉公にあがりました。
利発で性格がよく、十兵衛に信頼され寵愛されて赤ちゃんのお守りを命ぜられていましたが、ある時、ふと目を離した隙に赤児が縁から落ち、踏み石に頭をうって死んでしまいました。
お花の過失はどうしようもなく不運を嘆き悲しんだのですが、愛児を失った奥方の怒りは激しくお花を責めに責めて、とうとうなぶり殺してしまいました。
ところがお花の怨霊が夜な夜な屋敷にあらわれて怪異が起こり、奥方は死霊にとりつかれて狂死し、十兵衛はお花の霊を慰めるために祠を建てて神として祀りました。それから祟りはなくなったといいます。
今の大手町あたりですがのち大円寺に移され、現在、徳守神社の境内に末社として祭られ、神となったお花善神は女性の守り神、女性に良き縁を運び、特に逆境にある婦人に霊験あらたかです。 家庭内に悩みを持つ人、良縁の恵みを願う人、善神社にお参りしてご加護をうけられてはいかがでしょう。(徳守神社HPより抜粋)
お花の宮 善神社
※詳しくお知りになりたい方は、以前の取材へ→善神社(お花宮)