西寺町(地域別/津山市/津山地域)

愛染寺四国八十八ヶ所霊場お砂踏み

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 2017年4月29日(土)10:00~四国八十八ヶ所霊場お砂踏み(三年に一度)がありました。「お砂踏み」とは、四国遍路ができない人の為に、四国遍路を身近に感じられるようにと八十八ヶ所霊場の砂を踏みながらゆっくりと巡ってお蔭をいただく行事だそうです。また、写経をや写仏を描いたりしながら無心になって心を落ち着くひと時を過ごすそうです。境内にはぼたんの花が美しく咲いていました。(情報提供:愛染寺密教婦人会)

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西岩山 寿光寺(西寺町)

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寿光寺の歴史
 綱国と共に津山に来た養母の立長院が、西寺町の景徳寺の盤海という住職の仏典の講義を聞きに通っていた。
この西寺町の景徳寺とは現在の寿光寺のこと。森家のとき、忠政が各地の城造りに引き出されて多忙のため叔父の森可政を津山によんで忠政代理で築城と町造りの指揮に当たらせた。この可政が菩提寺として景徳寺を建てた。同寺の記録では元和元年になっている。その立長院の死により法諱「立長院殿雲嶽寿光大姉」から寿光寺と改名、忠直の「西岩院殿磬誉鉄心大居士」の諱号の西岩院を寺号にした。津山西寺町の西岩山寿光寺は松平忠直の寺でもある。(前回2009年の記事)(情報提供:壽光寺)

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津山・城西まるごと博物館フェア2016

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2016年10月2日(日)、津山市城西地域で「津山・城西まるごと博物館フェア2016」が開催されました。 この催しは、津山市の「城西地区の出雲街道沿線(西今町~宮脇町)を博物館」に見立て、地域の皆さんが手作りで開催するイベントで午前10時~午後3時まで行われました。当日は、アート&クラフト展、オープニングパレード、バルーンアート、城西こどもガイド、ミルクホール、まるごと合唱団、吹奏楽の演奏、城西お宝さがし、人力車、作州絣の実演と体験、キッズフリマ、屋台村など盛りだくさんの内容でした。

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愛染寺にて「子育て水子地蔵万灯会」がありました。

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2016年8月24日午後7時から、津山市西寺町にある愛染寺にて「子育て水子地蔵万灯会」がありました。当日の夕焼けはとても美しく思わず写真に収められずにはいられないほどでした。また、毎年子ども達が描いた灯ろうに火をともし、檀家の皆さんが多数来られて供養が厳かに行われました。
 愛染寺は、鐘楼門及び仁王堂は、岡山県指定文化財建造物に指定されています。また、大師堂裏に「秋月妙清信女」の墓があります。この墓は神崎与五郎則休の生母の墓で、元禄3年に死没し、与五郎がここに葬りました。与五郎は寛文6年津山 で生まれ、のちに赤穂藩浅野家に出仕、赤穂義士として元禄16年江戸城水野邸で自裁、泉岳寺に眠っています。(2009年9月撮影時の様子)(ぼたん祭りの様子

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大圓寺の百日紅

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2016年8月23日撮影
 むかし(安土桃山時代であろう)津山に皈恵比寿屋善六という雑穀商がいて、その名前とは正反対に2種類の升を使って客をだまし、暴利をあげていた。妻 は亭主の悪意を心に病んでついに亡くなったが、その後善六の友人が旅をして小田原を通りかかると妻の幽霊が出て、「亭主の悪事が気がかりで成仏できない、 この有様を亭主に伝えてくれ、ついては信用できないだろうから私の片袖を持って帰ってくれ」この話を聞いた善六はついに改心し、全財産を投じて妻の菩提を 祈るため現在の二階町あたりに寺を建立したとのことである。

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神崎与五郎と勝間田宿、下山本陣

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 忠臣蔵といえば、赤穂浪士の復讐の物語で、全国津々浦々まで知れ渡っている。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのが、元禄15年12月14日であったため、現在に至っても年の瀬が近つくと、必ずといっていいほどメディアによって放映さている。
 私が太平洋戦争のさなかに勝間田国民学校に在学していた頃、毎年12月14日には、先生に引率されて、黒土地区にある赤穂浪士の1人神崎与五郎の両親の墓参りをしていた。その頃から神崎与五郎が私たちの郷里で、家族と共に何年か過ごした後、播州赤穂藩に仕官したのどということが分かり、子ども心にも誇らしく思っていたものである。
 神崎与五郎則休は、美作津山藩主森家に仕えていた神崎又市光則を父として、寛文6年(1666)津山城下で生まれた。生母は元禄3年(1690)8月に病没し、津山市愛染寺に葬られている。

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毘沙門天 柴灯大護摩供 愛染寺(西寺町)

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2016年2月7日(日)午前8時30分から津山市西寺町の愛染寺に於いて毘沙門天王初詣が行われました。毘沙門天とは、戦勝祈願や現世利益をもたらす財宝、福徳の神様です。この日は朝から厄除祈願、諸願成就、商売繁盛、進学成就などを祈願する参拝者で賑わいました。本堂での大般若経転読の後、境内で行われた柴灯大護摩供。風もありもくもくと上がる煙を避けながら護摩木が次々と炎の中に投げられました。また、甘酒のお接待や津山鶴丸太鼓の奉納もあってほっこりしました。

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文化財めぐり(渓花院「於郷」)

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西寺町・渓花院跡(新高倉稲荷神社境内とその南東)
寺院としての渓花院の由緒:臨済宗東海派。山号は文献によって相違。
 渓花院の没後、元和初年に夫の関成次が亡き妻の菩提を弔うため、天倫を開祖として墓所の側に堂宇を建立。承応元年(1652)大名の待遇を得た次男の関長政により装飾が加えられ、長男で藩主の長継からは10人扶持を寄進。隠元が「渓花院」の3文字を大書した銅製の扁額もあったという。森家改易で関家が新見に移ると衰退し、無住となる。明治17年(1884)の時点で、境内は東西17間(約30m)・南北14間半(約20m)。明治末期に今の倉敷市連島辺りに移転したらしく、弥勒菩薩を本尊として本堂・庫裏・土蔵など630坪の境域と信徒300人を有し、岡山の国清水の末寺として亀島に渓花院という臨済宗妙心寺派の寺院が存在したとの記録があるが、その後に廃絶した模様で、その詳細は不明である。(矢吹正則『津山誌』・本源寺萬愚誌「森関宗廟由来記」・『浅口郡誌』参照)(2015年12月6日津山郷土博物館第107回文化財めぐり)

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もみじが美しい大雄寺です。

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 百丈山 大雄寺は慶長の末(西暦1610年代前半)に、森家の重臣 原家の親族である伝室玄悦和尚が開山となり創建されたお寺です。四季を通してとても綺麗な参道があり、城西地区のちょっとしたスポットです。(2015年12月7日撮影)前回の取材はこちらから

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長昌山 妙法寺の桜がきれいでした。

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長昌山 妙法寺本堂の前に植えてある枝垂桜です。(2015年4月9日~取材)

 現在の妙法寺本堂は、県の重要文化財に指定されており、正面5間(16.9m)側面(18m)の大きな平面を持った堂宇である。鬼瓦の側面の記載により1653年頃の完成と思われる。他に市の重要文化財に指定されている鰐口がある。

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