高野山西(地域別/津山市/津山地域)

おくり狼の話『山西の民話』

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 治郎兵衛は私の家の下男でした。ガッチリした大きな骨格で、とても力がつよくて、よく力自慢をしていました。明治の初め頃でしたか、治郎兵衛の伯父が死んでお葬式がありました。
 何分、母のさとなので、田舎の習慣通り餅をついて重箱に入れて持って行きました。お葬式の日は折悪く友引の日だったので出棺は12時をすぎてでした。お葬式をすまして送り膳にについて一パイよばれて帰途につきました。伯母さんや家の人達が「もう遅いので明朝帰ったら」としきりに止めてくれるのでしたが、明日からの農作業を思うと、一寸でも早く帰りたいと思って、家人のとめてくれるのを押しきって、帰途につきました。十三夜の月が明るかったので提灯も持たずに、近道の山路を越して帰ることにしました。

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虎さんと狐『山西の民話』

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虎さんはつりずきの人でした。
或る秋の夕方から大川へ鯰(なまず)をつりに出かけました。
今夜はとてもマンがよく五匹もつれました。もう12時近かったので、きりあげて帰りかけました。
ビクの中で鯰(なまず)もはねていたのをおぼえています。
鹿の子の道を回って、明るい十六日のお月様がでていました。

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2017年1月25日高野山西から見た那岐連峰の雪

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2017年1月25日の朝が冷え込み霧も濃い日でした。それでも午前9時頃になると山の枯れ木に雪の花が咲きキラキラとしてとっても綺麗でした。また、雲の上にある那岐連峰の雪を見たのは初めて(今まで気が付かなかっただけ?)だったので撮ってみました。撮ってから気付いたのですがカラスが一斉に飛んでおりました。

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高野山西はタニシの産地だった。

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 タニシは、淡水産の巻貝です。貝の口にふた(へた)があります。この地方では「タノシ」ともいいました。
 昔の山西の水田はほとんどの田が湿田で、またどの農家でも牛をかっていました。牛は農作業にかかせませんでした。まや(牛ごや)のしきわらで、だいじな堆肥を作りました。その堆肥はほとんど田に入れました。それがタニシのえさをふやし、そこがよいすみかになりどの田にもたくさんのタニシが田のどろの上をはっていたものでした。

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カラスガイつり(高野山西)

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 湿田の中でも、山西の西がわの低い山の間の棚田は雨が降ると水であふれ、その水が「あと口」から流れ出てはつぎつぎに下の田に落ちます。そのたびに水の落ちた所が土をおし流し少し深くほれてきます。そこを「あと下」とか「あとあな」と言いました。そのくぼみにはいつもフナやドジョウが集まるので、手あみやソウキを持ってとりに行ったものです。またそこには、カラスガイが生まれ、住みつきここで大きくなり、ときには10センチ以上にもなりました。そのカラスガイをつるのもとくべつの楽しみでした。

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山西ドジョウ(高野山西)

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 ドジョウは淡水産の小魚で、うなぎのような形をしています。大きいもので20センチ。口にひげがあり、味はあっさりして脂肪が少なくビタミンAが多い。
 水の浅い底がどろのところに住み、危険を感じると水をにごらせてどろの中にかくれます。雨の前には水中からうき上がりぽつりと空気をはき、また空気をすって腸まで送る腸呼吸ををするおもしろい魚です。
 ドジョは流れの少ないどろ土の深い所、ちょうど湿田のようなところがぴったりでした。ここはドジョウのいちばんのすみかです。

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山本神社(高野山西)

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山本神社(高野山西)2015年1月25日取材

 山本神社は昭和14年11月吉日 山本繁俊さんが建てたもので個人所有のものです。

山本さんのご親戚の方がお掃除などをされていて、今でも年一回お祭りをしていらっしゃるそうです。

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白滝様(高野山西)

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 高野山西にある白滝様は、地元の方からお聞きすると「この地区で、戦後いろんなことが起きて地元の人が集まって建てたと聞いている。今でも、5軒ほどで春と秋にみんなで集まってお祭りをしています。回り当番制で、当番の人がお掃除をして、掃除が終わったら、当番さんの家で親睦を図っています。」とのことでした。由緒沿革は定かではないそうです。( 2014年7月3日取材)

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