高野山西(地域別/津山市/津山地域)

飯山狐の話『山西の民話』

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 昔のことである。飯綱から飯山、加茂-物見-因幡にぬける道を「因幡街道(加茂街道)」といって、津山から因幡にぬける重要な道筋であった。御維新にならない前の頃だった。この街道を津山から加茂へ帰ろうと急いでいる一人の馬子がいた。道は夏目池の裏側を通って飯山の六本松のある観音様の所へ通りかかった。フト観音様のお堂のかげから女の人が出て来た。馬子はこんなにおそく観音様から若い女の人が出るなんて、と不思議に思った。 
 女の人は若い美しい娘だった。

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名主の話『山西の民話』

musume.jpg山西に水源がなくて困った頃の話である。水田は、ほとんど天水田であった。天水田というのは、自然の雨水をためて耕作する田んぼのことである。特に寒い時の水をためて大事にしとくのである。寒水、雪どけ水は、大へん珍重せられ、夏水にくらべて水のもつ力がつよく、たんぼをまもる力がつよいといって大事にされたものであった。天水田以外は山雨川―蟹子川の流水があったがこれとて川といっても名ばかり、よその溝位のものであった。夏には水がかれて、かんがい用には余り役にたたなかった。


私の小さい時、冬の日に母が水車へ行って米を搗いて来たのをおぼえている。夏場は川の水は朝から翌朝まで、たんぼのかんがい用水として水車をまわすわけには行かなかった。夏の日、冬ためづきした「寒搗き米」でご飯をにてたべていると「スイ」くて変な味がしたが仕方なく文句も言わずに食べたものだった。また、たんぼも天水がだいじで、あぜを特に強くして、槌でたたいてむくろ穴をふせぎ、その上に泥を塗り、藁で日おおいをして更にもう一度泥をぬり水を一滴でも流さないように工夫をこらしたものであった。この天水田を「しる田」といって、夏も冬も水があった。

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オオカミ様の話『山西の民話』

ookami.jpg山西の入口に石の燈籠がたっている。その裏側に明治32年巳亥年8月建立と書いてある。この燈籠は明治末期から大正8年迄、毎夜村人の手によってともされたものであった。
一方では村の道しるべでもあり、他方では神様に対する信仰心から献灯でもあった。
当時、信仰のあつかったのは、お伊勢様、金刀比羅様、小豆島、宮島とオオカミ様であった。


昔、山西から津山のお城下に出る主要道路は、西の道ー越木峠ー春長を通り、松葉峠から野介代を経て、八出の船着場に出て行く道筋が主だった。だから、今でも越木峠の向うに逆迎場(酒迎場)という所があり、小さい社(荒神様)が勧請してある。村(部落)の代表のものが宮詣(お伊勢様にまいり、宮島にまいり、小豆島を巡礼し、金刀比羅まいりをし、近くはオオカミ様に参拝する)のをここまで見送りに来て、平穏無事を祈って酒もりをしたり、又、何事もなく無事に帰って来た代表のものをよろこび迎え、その労を犒う酒もりの場でもあった。新道が山西の東-鹿の子から飯綱坂につづく様に出来たので、新道に展望のきく山西の入口に、明治の人々(明治32年)に建立した信仰と文化の標識でした。

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おばあちゃんと狐『山西の民話』

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 今から約百年も前の事です。
 田植がはじまって、田植の最中だったのです。家をしめてだれも田んぼで田植をしていました。
 おばあさんは一人早く帰って来て、晩ごはんの用意をしていました。だれもいない家の内はシーンとしずまり返っていました。台所でおばあちゃんは、夕御飯の用意をしていました。

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狐塚の話『山西の民話』

kitsune-1.jpg 古池((現・小池)の奥に「石が谷」というところがある。昔、水の便利が悪くて稲が作れず、畑にして大豆をを作っていた。毎年のこと、豆がうれるころとなると兎が出て豆を食い荒らして困っていた。ある年、持主の花戸(ハナト=家号)の六兵衛隠居が腹を立てて、兎退治を思いついた。勢子をたのんだら、早速に治郎兵衛や弟の熊や、虎やんや常やんや、雄治に治太郎など若者が集まって「やろう」「やろう」といきり立った。兎網を用意して、勢子たちは手ごろのこん棒を作った。旧の10月13日だった。畑のまわりに兎網をしかけて、兎の来るのを今か、今かと待っていた。

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おくり狼の話『山西の民話』

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 治郎兵衛は私の家の下男でした。ガッチリした大きな骨格で、とても力がつよくて、よく力自慢をしていました。明治の初め頃でしたか、治郎兵衛の伯父が死んでお葬式がありました。
 何分、母のさとなので、田舎の習慣通り餅をついて重箱に入れて持って行きました。お葬式の日は折悪く友引の日だったので出棺は12時をすぎてでした。お葬式をすまして送り膳にについて一パイよばれて帰途につきました。伯母さんや家の人達が「もう遅いので明朝帰ったら」としきりに止めてくれるのでしたが、明日からの農作業を思うと、一寸でも早く帰りたいと思って、家人のとめてくれるのを押しきって、帰途につきました。十三夜の月が明るかったので提灯も持たずに、近道の山路を越して帰ることにしました。

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虎さんと狐『山西の民話』

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虎さんはつりずきの人でした。
或る秋の夕方から大川へ鯰(なまず)をつりに出かけました。
今夜はとてもマンがよく五匹もつれました。もう12時近かったので、きりあげて帰りかけました。
ビクの中で鯰(なまず)もはねていたのをおぼえています。
鹿の子の道を回って、明るい十六日のお月様がでていました。

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2017年1月25日高野山西から見た那岐連峰の雪

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2017年1月25日の朝が冷え込み霧も濃い日でした。それでも午前9時頃になると山の枯れ木に雪の花が咲きキラキラとしてとっても綺麗でした。また、雲の上にある那岐連峰の雪を見たのは初めて(今まで気が付かなかっただけ?)だったので撮ってみました。撮ってから気付いたのですがカラスが一斉に飛んでおりました。

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