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篠山城跡【さら山地区】

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▲篠山城跡(2011.4.10)

  早春の佐良山の東面に位置する山々は、可憐な白い花弁を一杯に広げた純白の「辛夷」の花で彩られます。その中でも一番美しい群生を見せる場所として、「篠山」があげられます。
 佐良山には「佐良山三座」と称される山々があります。「嵯峨山」「神南備山」そしてこの「篠山」です。古歌に「美作や久米のさら山さらさらに わが名は立てじ萬代までに」と謡われた「久米のさら山」を巡って、諸説が飛び交いいまだ決着を見ていない佐良山を取り巻く秀峰をいつしか「佐良山三座」と呼ぶようになりました。
 ちなみに嵯峨山には、これぞ「久米のさら山」であるという「佐良山碑」(市文化財)が津山藩により1816年に建立されていますが、それはそれとして佐良山の人たちはこの美しい山々をこだわりなく誇りに思っていると思われます。

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  さて本題の「篠山」ですが、ここに城を築き、戦に敗れ、夢半ばでこの世を去った「入谷河内守源長昌」の史実を記しておきます。
 入谷河内守源長昌は、永正年中(1504~21)篠山に在ったと言われております。今は廃寺となっている「華栄山長昌寺」を再興したことも史実として残ります。
 作陽誌に「入谷河内守の墓、佐良山村にあり、戦に破れ裏門からのがれていたが、流れ矢にあたり死す。墓は五輪塔で、これに参ると頭痛、歯痛にご利益があると言われ、参拝する人が多かった」とあります。津山市高尾の篠山から流れる湯谷川と国道53号線が交わる場所に、入谷河内守の碑が建てられています。数年前までは、近くの皆さんが「入谷様」と称する集いを催し、霊をお慰めしていました。古老の話によれば、碑の下にお墓があるということです。辛夷の花を見る度に「入谷様」について思いを巡らします。

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▲篠山                           ▲写真は入谷様の碑

  篠山山頂付近には「月見の池」と称される小さな池があり、年中水が絶えたことはありません。その池に月を写してみるのが何とやらとの話も地元の人から聞きました。地元皿の人たちにとってこの池は重要な池の様子で、毎年春と夏の町内の溝掃除には、青壮年会の有志がこの山に池掃除のために登ります。
 ちなみに先般の台風で篠山は夥しい倒木で荒れ、所有者の方がその整理にあたられ、写真のように山頂が明らかになっています。ここで入谷様はどんな夢を描いたのでしょう・・・。(村上)

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 さら山のさくら1(さら山時代祭りのメイン会場付近にあります)

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 さら山のさくら2(国道53号線沿いにあります)

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さら山のさくら3(この桜が一番鮮やかです)