西新町(地域別/津山市/津山地域)

絵画史料に見る江戸の洋楽事始

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 日本の教育や音楽隊などに本格的に西洋の音楽が導入されたのは、明治時代以降と言われていますが、江戸時代にも長崎出島を通じて洋楽はもたらされており、オランダ人と交流するわずかな機会を通じて、日本人もその調べを耳にすることができました。そのような状況の中で、津山藩の洋学者宇田川榕菴は、日本で初めて学術的に西洋音楽を研究し、「西洋楽律稿」などの稿本を残しました。
 本展では、出島への伝来から、ペリー来航、開国に至るまでの江戸時代の西洋音楽受容の歴史と榕菴の研究について、版画や錦絵、榕菴の直筆資料を通じてご紹介します。(文:津山洋学資料館HPより)(2017年10月17日撮影)

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箕作阮甫旧宅(西新町)

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 箕作家のルーツ:近江源氏の一族で、佐々木姓を名乗り、平安末期から戦国時代の終わりまで、守護・戦国大名として近江一帯を治めていた。室町時代に佐々木22代高頼の子で箕作山(現滋賀県五箇荘町)の城主であった定頼が箕作氏を名乗ったことにより、箕作家は始まる。
 箕作家は津山藩の医者でした。阮甫は西新町で生まれ、江戸へ出て宇田川玄真について洋学を学びました。洋学の翻訳にも力を注ぎ著書や訳書がたくさんあります。

 我が国最初の医学雑誌を発行したり、オランダ語の文法書を発行して学問の発展に貢献しました。

阮甫は生涯一医者にとどまらず、経済・天文・法学・地理・物理・兵学など洋学者として、広く学問を修め、幕府の外交政策等にかかわり、近代日本の文明開化の先がけとなった一人で多くの業績を残した。まさに郷土の誇りである。勿論日本の誇りでもある。(文:前回取材より)(2017年8月30日撮影)

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山田純造生誕180周年記念 海田の医家 山田家の人と学問

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「山田純造生誕180周年記念 海田の医家山田家の人と学問」会期:11月19日(土)~平成29年2月19日(日)
 
山田家は、海田(現在の美作市)で代々医業を営んできた家系です。医家として6代めにあたる純造は、大坂にあった華岡流の医塾合水堂で学び、天然痘予防の牛痘種痘の普及にも尽力しました。山田家の医院「仙巌堂」には、治療を求める人たちが雲が湧くように集まったといいます。山田家には、代々収集された医学書や医療器具が伝来しており、これらは華岡流という蘭漢折衷の医学を習得した医師の学問や医療活動の状況を知ることができる、大変貴重な資料です。
本展では、本年、純造が生誕180周年を迎えるのを機に、山田家の人々とその医業をご紹介します。蘭方(西洋医学)を学び、地域の医療に尽くした医師たちの活動を、ぜひご覧ください。
(文:津山洋学資料館)(2016年12月3日撮影)

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津山洋学資料館夏季企画展「言葉の海へ」

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2016年7月2日(土)~9月25日(日)「言の葉の海へ-オランダ語翻訳に挑む-」が津山洋学資料館で開催されています。
 江戸時代の日本は厳しく海外との交流を制限しており、ヨーロッパ諸国の中では唯一オランダとだけ交易を行っていました。そのため西洋の学術や文化はオランダ船によって長崎の出島にもたらされました。蘭学者たちは、西洋の学問を学ぶため、オランダ語の翻訳に挑みました。そして新しい知識を得て、まだ日本にないモノや概念には、新しい言葉を作りだしました。(2016年7月17日撮影)

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日本とロシア-箕作阮甫・秋坪の対露交渉-

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津山洋学資料館 春季企画展
日本とロシア-箕作阮甫・秋坪の対露交渉-  会期:2月20日(土)~6月19日(日)
◆嘉永6(1853)年、日本との開国交渉を行うため、ロシア海軍提督プチャーチンが長崎に来航しました。その対応使節の一員として津山藩医箕作阮甫が派遣され、外交文書の翻訳や外交交渉における助言などを行っています。また、その養子秋坪は幕末に2度ロシアを訪れ、国境交渉に携わりました。今回の企画展では2人の業績を中心に、日本とロシアのかかわりがご紹介します。
◆主な展示資料...「北蝦夷地異国船渡来御届書」「魯西亜人之図」「別段風説書」「長崎表江ヲロシア舟渡来之事」「魯西亜蒸気船之図」「魯西亜書簡和解」など(文:津山洋学資料館)

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神崎与五郎と勝間田宿、下山本陣

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 忠臣蔵といえば、赤穂浪士の復讐の物語で、全国津々浦々まで知れ渡っている。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのが、元禄15年12月14日であったため、現在に至っても年の瀬が近つくと、必ずといっていいほどメディアによって放映さている。
 私が太平洋戦争のさなかに勝間田国民学校に在学していた頃、毎年12月14日には、先生に引率されて、黒土地区にある赤穂浪士の1人神崎与五郎の両親の墓参りをしていた。その頃から神崎与五郎が私たちの郷里で、家族と共に何年か過ごした後、播州赤穂藩に仕官したのどということが分かり、子ども心にも誇らしく思っていたものである。
 神崎与五郎則休は、美作津山藩主森家に仕えていた神崎又市光則を父として、寛文6年(1666)津山城下で生まれた。生母は元禄3年(1690)8月に病没し、津山市愛染寺に葬られている。

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和蘭堂のクリスマスローズ展とお雛さま

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2016年3月4日(土)城東伝統的建造物群保存地区にある 『ナチュラルカフェ&ギャラリー和蘭堂』で観光案内所でもあります。店内に入ると津山で作られたお土産や市内の観光情報が沢山置いてあります。2016年3月2日(水)~3月7日(月)までクリスマスローズ展が催されています。美味しいコーヒーを頂きながら楽しんでくださいね!

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津山洋学資料館で見ることが出来るオランダ正月

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日本の「和食」が2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されるなど日本の食文化が国際的なブームになっているのをマスメディアで多々見かける今日この頃ですが、なんと出島のオランダ正月料理のポスターを津山洋学資料館で見つけました。津山に縁の深いオランダの正月料理はこんな料理だったのだと思い、津山のみなさんにも知ってもらおうと、長崎市にお問い合わせをし、ポスターならOKとのことで許可を頂きましたのでご紹介しますね。(2015年1月9日許可済)

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津山洋学資料館冬季企画展 津山藩の絵師 鍬形家と洋学者

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津山藩の絵師 鍬形家と洋学者
森島中良、宇田川玄真、箕作阮甫、箕作秋坪、宇田川興斎
~鍬形蕙斎、赤子をめぐる洋学者たちの諸相~
会期:10月17日(土)~平成28年2月7日(日)
◆「江戸一目図」で名高い鍬形蕙斎(1764~1824)は、はじめ北尾政美の名で浮世絵師として人気を博し、1794(寛政6)年に31歳で津山藩の絵師として召し抱えられました。惠斎の画業への評価とともに特筆すべきなのが、文人や学者たちとの交流で、宇田川玄真や森島中良ら、洋学者たちとも交流した記録があります。
 さらに蕙斎の跡を継いだ赤子(1800~1855)は、1854(嘉永7)年のペリー再来に際し、藩命で洋学者の箕作秋坪、宇田川興斎とともに浦賀に偵察に赴きました。各地に伝来する黒船を描いた絵巻には、赤子が描いたものや、それらを写したものがあり、黒船をめぐる学者たちのネットワークが垣間見えてくるのです。
 本展では、津山藩の絵師を務めた鍬形家3代のうち、初代蕙斎と2代赤子について、洋学者たちとの交流という側面からご紹介します。(文:津山洋学資料館HPより

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津山洋学資料館秋季企画展 解剖図の世界-江戸から現代(いま)へ-

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 2015年は、京都で山脇東洋が日本最初の人体解剖を行ってから260周年にあたります。この解剖の記録として『蔵志』が出版され、それまで信じられてきた「五臓六腑」図が否定されました。当時の医師たちは人体の内部を自分の目で確かめるため、各 地で解剖を行いました。『解体新書』翻訳のきっかけとなった、江戸小塚原の腑分けもその一環です。蘭学の発展に大きな役割を果たした解剖図、そして現代の 解剖図-メディカルイラストレーション-を一堂に展示することにより、江戸時代から現代へ繋がる医学の発展をご紹介します。(文:津山洋学資料館HPより抜粋)2015年9月5日取材

2015年9月5日(土)~10月4日(日)津山洋学資料館 9:00~17:00(入館は16:30まで)

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