津山地域(地域別/津山市)

衆楽園の「皇太子殿下御手植松」のなぞ。

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 衆楽園の門を入るとすぐ正面に見える大きな松の木があります。その松の根元に「皇太子殿下御手植松」の石柱があります。明治36年10月18日なので、おそらく大正天皇の事だろうと思いますが、行くたびに気になっていたので、お国自慢の皆さんにお聞きしましたら、どうやらこの松は二代目の松でしかも日本古来の松ではないそうです。御手植松はあったのだろうか、詳細な事は解りません。また、皇太子殿下御手植松なら名誉なことなので、苫田郡誌など書き記したものがあるはずだけど、何も記録がないと首をかしげる人もいらっしゃいました。衆楽園の七不思議のひとつだそうです。(撮影2017年6月19日)

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善應寺の樹令200年の「傘大モミジ」

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2017年11月11日恒例の「傘大モミジ」の様子です。気候の変動のせいでしょうか今年はピークを過ぎていました。モミジの根元には、高浜虚子が読んだ大紅葉の句碑もあります。また、この日はもみじ祭りがあり、地域の皆様が色々と手作りの品でもてなしてくださいました。(2012年11月10日・11日に「傘大もみじまつり」がありました。)

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いい汗かいた神楽尾城跡

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   神楽尾城は、東西約20㎞、南北約10㎞に広がる津山盆地のほぼ中央に位置する神楽尾山(標高308m・二等三角点)に築かれた中世の山城です。今回は田邑側から登ってみました。この画像は2014年のものですが、ずっと気になっていたので、アップすることにしました。とても見晴らしが良くて最高でした。もう、何十回、何百回と登っていられる方ともご一緒出来たし、清々しい好青年ともすれ違いました。登山とまではいきませんがいい運動になります。歴史的な事は前回に取材しておりますので、今回は様子まで。(2014年5月10日取材)

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日限り地蔵と中部第81番霊場(第79番札所)

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  津山市平福の国道53号線沿いにおられる日限り地蔵です。この地蔵は部落の境にあったので、二つに分けて祀られているそうです。「日限り地蔵にお願いすれば、子どもがさずかるそうじゃ」といううわさが広まり、子どものほしい人がつぎつぎにおまいりするようになったと言われています。軒先には中部第81番霊場(第79番札所)と書かれています。誰が手向けたかはわからないが千羽鶴が飾ってありました。(2017年9月30日撮影)

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JR西日本 津山口駅

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 津山口駅(つやまぐちえき)は岡山県津山市津山口にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)津山線の駅である。かつては、津山線の前身である中国鉄道が開通したときのターミナル駅であり、2面3線のホームを有していたため構内は広い。古いホームは一部残っている。
(2017年9月15日撮影)

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2017 津山城もみじまつり

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 11月18日から11月23日まで、津山城鶴山公園にて、「津山城もみじまつり」が開催されております。期間中は鶴山公園内にある約300本のもみじがライトアップ(PM17:00~21:00)され、遠くからも石垣ともみじのコントラストがとても素敵です。
また、18・19日のステージイベント、ご当地グルメフェスティバル&つやま地域産品まつり、美作国大茶華会などイベント盛りだくさんの「津山城もみじまつり」でした。(撮影:2017年11月18日)

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楽しかった「街中ハロウィン」

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 2017年10月28日に津山市商店街で「街中ハロウィン」が行われ、子ども達や、大人達がユニークな仮装で楽しませてくださいました。このイベントは津山商工会議所青年部主催で行われ、仮装をしてスタンプラリー、屋台、ゲームが出来る盛りだくさんのイベントでした。大人の仮装は面白い、子どもの仮装はかわいいなぁ~と思った今年のハロウィンでした。(2016年の様子です。

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第18回 森林を考える県民のつどい

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平成29年10月28日(午前10時から午後2時30分)津山市大田のグリーンヒルズ津山・リージョンセンターで、森林を考える岡山県民のつどいがありました。当日は台風22号の影響もあり、朝から雨になりましたが、大勢のお客様が来られていました。会場では、ブルーベリー苗木1,300本の無料配布や、沢山の人がつるかご・丸太のコースター作りを楽しんでおられました。その他、地域特産品、ご当地グルメなど盛りだくさんのイベントでした。また、同時開催 津山小麦まつり&津山ショウガまつりもありました。

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【津山人】浅本鶴山 -放浪の陶工-

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 放浪の陶工、鶴山は明治18年(1885年)津山に生まれ、2歳のとき、林田で開窯していた浅本房吉(旧姓杉崎)のもらい子になった。高等小学校卒業のころのちょうど13歳のとき、当時津山市二宮の窯へ移っていた父房吉から轆轤の手ほどきを受けたという。以後、淡路の眠平焼に行って修業を積み、さらに、兵庫県出石の「シケ場」へ。その後、伊部、明石の朝霧焼、稲見へ次から次へと、それこそ、轆轤一丁肩にかけ、ひょうひょうと、渡り歩くこと約十数年。しかも、その間、京都陶器試験場の場長の藤江氏の世話になったり、また、陶器学校で三年ほど仕事をしたりした。
 明治44年(1911年)静岡県の賎機焼に行き、そこに腰を据えて約20年仕事をした。もっとも、その間、たびたび津山に帰ったし、また、昭和10年(1935年)には、福岡県赤崎焼へも行っている。二十五歳のころ、赤磐郡佐伯町から嫁をもらった。一応幸福な中年期を過ごしたが、突然、子どもが病死し、続いて妻も失い自暴自棄になった。

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『太平記』の物語からできた作楽神社と児島高徳

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「太平記」と児島高徳  児島高徳は忍びの頭だった。
「天莫空勾践 時非無茫蠡」(天勾践を 空しゅうする莫れ 時に茫蠡 無きにしも非ず)
 児島高徳は、後醍醐天皇宿泊の院庄の館に忍び込んで、このように読む十文字の詩を桜の木をけずって書きました。
 これはその昔、中国で茫蠡と言う家来が、敵にほろぼされかけた勾践という王を大変な苦労のすえ助け、国を再興させたという物語を例にして、こういう忠義な家来もいないわけではありませんよと、天皇を励ましたものです。中国の古典に詳しかった天皇は、これを見てほほえまれたといいます。
 明治に新劇を始めた川上音二郎らによって、これが芝居として演じられて評判となり、院庄と高徳の名前は、広く全国に知られるようになりました。戦前には、高徳は楠正成と同じ忠義なさむらいとして、教科書にもとりあげられ、文部省唱歌にもなりました。
 学者のなかには、高徳は、『太平記』の作者のつくりばなしであるとか、『太平記』の作者ではないかという人もいれば、瀬戸内の海の武士団であったなどさまざまな見方や意見がありました。『太平記』に何か所も記述されている高徳は、何物であったのでしょうか。
 近年は、地域の歴史が見なおされ研究がすすんできています。関連した人物の資料やさまざまな史実から高徳は、実在の人物であったことがはっきりし、児島あたりの山伏をひきいる忍びの頭であったと、されています。

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