大日如来(津山市川崎字玉琳)
津山市玉琳 大日如来 牛馬安全
大日如来を牛馬神とする信仰は美作に多い。「大日如来」と刻んだ自然石が路傍に多い。
牛馬の供養塔である。(密教の曼荼羅の中尊の大日如来は牛馬神とは無縁である)
大山の大日堂(現在の大山寺本堂)が牛馬守護の神礼を配布した事情にもとづいている。
津山市玉琳 大日如来 牛馬安全
大日如来を牛馬神とする信仰は美作に多い。「大日如来」と刻んだ自然石が路傍に多い。
牛馬の供養塔である。(密教の曼荼羅の中尊の大日如来は牛馬神とは無縁である)
大山の大日堂(現在の大山寺本堂)が牛馬守護の神礼を配布した事情にもとづいている。
保田扶佐子美術館 設立5周年記念 特別展が2014年(平成26年)9月28日(日)~10月5日(日)まで開催されました。館内は連日大勢の美術ファンで賑わっていました。(28日オープン時の館内の様子)
津山市玉琳 南無妙法蓮華経 日蓮 高祖大士七百
享保年中開眼(1717~1731)・400年(1682)・500年(1782)・600年(1882)・700年(1982)
※日蓮(日蓮宗)生 貞応元年(1222)2月16日~入滅 弘安5年(1282)10月13日
天明六丙午三月十四日 釋自焼●● 林田町長兵衛
親營窀穸 託身炎陽 不假天風 火帆自凉
※釋(浄土真宗で死者の法名の上につける語(淨円寺)
(東作誌)
林田町に長兵衛という独身の律義者がいて、死んだときに他人の世話になるが、こればかしはお礼のしょうがない、ということを気にかけ、70歳をすぎた天明6年(1786)の春、野介代の才ノ谷にあった焼場に自分で薪をもってゆき自殺した。それをあわれんで知る人達でこの碑が立てられたという。
2014年9月25日(木)ぐずついた天気でしたが、津山城(鶴山公園)内の曼珠沙華は綺麗に咲いていました。ここ近年、石垣の間からも沢山咲いているのが見えたり、園内至る所に咲いてきたように思います。
「ご当地グルメでまちづくりの祭典!第9回B-1グランプリin郡山-東北・福島応援特別大会-」出展にかかる安全祈願及び総決起集会の開催
このたび、津山ホルモンうどん研究会では、10月18日(土)・19日(日)両日に福島県で開催される「ご当地グルメでまちづくりの祭典!第9回B-1グランプリin郡山-東北・福島応援特別大会-」の出展にあたり、次のとおり安全祈願及び総決起集会を行います。
1 日 時 平成26年10月4日(土)
9:00~ 中山神社にて出展にかかる安全祈願
12:00~ 津山観光センター駐車場にて総決起集会
(観光客への津山ホルモンうどん300食ふるまい)
玉琳と因幡往来
玉琳という地名は、およそ四百年前の修験者河内玉琳に由来する。
ここ玉琳は。森家の街道整備によって一里塚が設置された場所であり、また、出雲街道から因幡道が、北に分岐する場所でもあった。
そのため、幕末の不穏な情勢の中では、元治元年(1864)城下町周辺の要所八ヶ所に設置された番所のひとつが、ここに設けられていた。(2014年6月23日取材)
ここには、信仰に関わる多くの石造物がある。
○回国供養塔《玉琳鎮座の石塔=文化11年(1814)》
回国供養塔は、通称 六部の碑と呼んでいるが、正しくは「全国六十六部廻国供養塔」のことである。世の平穏や民生の安定を願って全国六十余州の有名社寺を行脚して、法華経札を納めて回る編歴の僧侶たちを本来、六十六部と称した。しかし、江戸末期には次第に行脚が大衆化して、村々を回って戸ごとに拝み米や銭のお布施をもらって歩く、遍路姿の巡礼者たちをも総称して六部と言うようになった。彼らは、廻国道中に仲間や村人の協力を得て、往来の多い道筋あたりにこうした供養塔を建立した。
玉琳の三叉路付近は、人の出入りの盛んなまさに交通の要衝の地であり、近くに日吉神社も在ることから、絶好の位置に鎮座して祀られているといえる。(2014.6.15)
日時:9月28日(日) 12:30開場 13:00開演
会場:音楽文化ホール・ベルフォーレ津山
出演:星田一山、菊武厚詞、村上洋子、片岡リサ、都山流岡山県支部(有志)
グラミー賞17回受賞!2度の殿堂入り!!
ビッグバンドジャズの最高峰!!
日時:9月27日(土) 18:00開場 18:30開演
会場:津山文化センター 大ホール
出演:カウント・ベイシー・オーケストラ