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津山ボタニカルアート展示会がありました。

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 2014年11月30日に津山市立津山東公民館にて「津山ボタニカルアートの会」作品展があり、行って来ました。

 宇田川榕菴は、ヨーロッパで、はやくから「植物学」がすすんでいることに目を開かれ、「菩多尼

訶教」(ボタニカキョウ)を著して、わが国ではじめて植物学を紹介しました。「ボタニカ」はラテン語で植物学のことです。描き方や画材は、ペン画・鉛筆画・水彩画・油彩画などいろいろですが、透明水彩画が一般的です。(文:津山ボタニカルアートの会より)

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能万寺古墳群(きつね塚遺跡)(津山市押入)

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狐塚遺跡(きつねづかいせき)
 この遺跡は古墳時代後期(七世紀前半、約1300年前)のムラの跡です。津山東中学校の建設に先立ち津山市教育委員会が1973年に発掘調査しました。
 東西100、南北30mの調査範囲から竪穴式住居址二五軒、建物跡十一軒が発見されました。これらの遺構からは鍛冶炉とともに多量の鉄滓(製鉄や鉄加工をした時に残る鉄かす)が見つかりました。鉄滓には、製鉄をした時にできる製錬滓があることや、鉄鉱石の破片が住居内から出土したことから、このムラに住んでいた人々は、製鉄や鍛冶にたづさわっていたことがわかりました。(前回の取材

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明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

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地元に残る、温泉街の古写真、東方向から 明治時代の撮影で押入の古川沿い、因美線の鉄橋近くにある明治時代の温泉跡です。(写真他資料提供:赤坂健太郎さん)


 津山市出身で岡山市在住の赤坂健太郎さんが「苫田郡誌」で「小原と押入に冷泉があった。」とする記述を発見し、その謎を解くため紙面を通じて言い伝えなどを募ったところ、小原冷泉は郡誌の記録通り現在の大月公園南東側にあったらしく、近くの清水洋一さん宅では温泉の存在を証明する古い試料を大切に保管していたという。

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2015年の出初式放水の様子

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2015年1月11日の出初式放水の様子 (昨年の様子です。

 津山圏域消防組合と津山市消防団の皆さんが吉井川南岸の河川敷で一斉放水をしている現場を通りかかりました。毎年開かれる出初式ですが、1100人が参加されたそうです。対岸でも大勢の市民の皆さんが見物しておられました。健康で何事もない今年でありますように。

(急きょ写真を撮ってはみたものの、逆光で画像が悪いのでごめんなさい。)

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津山洋学資料館に置いてある漢方薬

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良薬口に苦しと申しますが、今回は薬を特集してみました。(2014年9月27日取材)

薬研(やげん)は、漢方薬などをつくるとき薬効を持つ薬種(草・根・木あるいは動・鉱物質)を細粉にひくのに用いる器具で別名「くすりおろし」ともいう。石製のほか、鉄製、木製、陶製がある。かつては石製のものが多かったが、今日では金属製のものが多い。(ウィキペディアより)


 下の薬の展示ケースですが、津山洋学資料館が開館する前、前館長が偶然大阪の薬問屋さんに展示してあったものを見つけて、譲って下さいとお願いしたところ快く譲って下さったそうです。これ等の展示物は、今でも実際に売られています。それから、設計図は壁だった所を展示用のスペースに設計し直したそうです。

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2015年 白加美神社へ初詣

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2015年1月1日の白加美神社の雪景色ですが、辺り一面シーンと静まり返っていましたよ。
とにかく寒い!年明けとなりました。氏神様にお参りして、昨年無事に過ごせたことを感謝し御礼申し上げてきました。さてさて今年はどんな年になるでしょうか?地方の景気が上向いてみんなが健やかにすごせますようにとお祈りしてきました。

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津山城(鶴山公園)の冬

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2015年1月2日正午過ぎに雪が解けてきたのでやってきました。入り口でお聞きしたら雪を冠った津山城(鶴山公園)を撮りに朝から大勢のカメラマンが来られたそうです。入り口を過ぎ、ふと上を見るとこの石垣はスマートなんだと気付き写してみました。冬の鶴山公園も素敵ですね。

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2015年の衆楽園、明けましておめでとうございます。

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2015年1月2日、明けましておめでとうございます。昨年はこの「津山瓦版」というローカルなサイトを見て下さった大勢の皆様に厚く御礼申し上げます。皆様にとって今年が幸多からんことをお祈りし、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 さて、元旦にかけて雪が降ってとても寒い年明けとなりましたが、それでも昼間は道路の雪も溶けたので津山を代表する観光地「衆楽園」まで行って来ました。

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沼の住居跡地の今

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2014年11月6日取材     (前回の取材)

 弥生時代以降、津山は農業を基盤として発達してきました。江 戸時代に津山城が置かれてからも、城下町は周辺の農業集落を背景として成り立っていました。明治時代になってからも、近代産業の発達はたち遅れたため、交 通の要衝(ようしょう)という位置をいかし、周辺の農業収入を背景とした商業を特に発達させてきました。

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