若宮神社の椋の木
西寺町と茅町との境になる裏通りに若宮神社がある。鳥居の内に二間四方の小さな社殿があるが、この家の中から大木が生えている。樹齢四百年と言われ、優に二抱え高さ二十㍍に及ぶ椋の木である。
この木は徳守神社の社前にある椋と兄弟木という言い伝えがある。その神木伝説があるから社殿と一緒に残ったわけで、四百年ならば、築城記念の中に加えなければなるまい。徳守神社の表の石垣にもたれる椋も大きいこと周知の通りである。(文:故 白石 哲 氏)(2017年4月23日・24日)
西寺町と茅町との境になる裏通りに若宮神社がある。鳥居の内に二間四方の小さな社殿があるが、この家の中から大木が生えている。樹齢四百年と言われ、優に二抱え高さ二十㍍に及ぶ椋の木である。
この木は徳守神社の社前にある椋と兄弟木という言い伝えがある。その神木伝説があるから社殿と一緒に残ったわけで、四百年ならば、築城記念の中に加えなければなるまい。徳守神社の表の石垣にもたれる椋も大きいこと周知の通りである。(文:故 白石 哲 氏)(2017年4月23日・24日)
司馬遼太郎の「街道をゆく」の第7巻は、古代の鉄生産をたずねて山陰路を歩いた記事をのせている。その帰途に四十曲峠を越えて作州に入り、苫田郡加茂町の黒木あたりのタタラ跡を見て回った。そこから岡山へ出る道、五十三号線の佐良山地区内のドライブ・インに立ち寄った。同行の鄭詔文さんがいつものくせで電話帳を借りて来てめくっているうち、津山市内に「百済姓」が四軒もあるのを発見、すぐ電話連絡をしたら、百済康氏の家だった。寄って欲しいと言われ、吹屋町に引き返して系図をみせてもらった。「いかにも風趣あり」鋳物伝来の暗示をしているようで、みごとな感じをうけた。と司馬遼太郎は書いている。このみごとな感じとは、渡来者の家系を誇りとしていることを指すと思う。いうまでもないが、新しい文化を日本にもたらしたのは多くの渡来者であった。
津山市鉄砲町に大師堂があり、軒先に阿弥陀如来・薬師如来の札が架かっている堂宇がある。
長年解らないまま月日が過ぎていましたが、2017年8月やっと鉄砲町の池田さんをお尋ねしてきました。「お大師様で、昔は隣の方々がお涼みなどしていましたが、今ではお涼みもお祀りもされていませんし、知った方々はいなくなってしまいました。一時、極楽山 光厳寺さんにお願いして一二度拝んでもらったこともありました。今は家の敷地内にあるので、私がお祀りしています。先代がいなくなって詳しい事はわかりません。」とのことでした。その後、光厳寺の住職をお尋ねして案内していただきました。(2015年5月9日撮影)
宇田川興斎旧宅跡 未指定(史跡) 北町8番地の7
津山市北町の城北橋の西詰の一角に津山市教育委員会が建てた解説板がある。ここが箕作家と並ぶ津山洋学のもうひとつの柱、洋学者宇田川家の四代目宇田川興斎の屋敷であったところである。この場所は、土地所有者本島大道より津山市が寄贈を受け、平成9年10月に整備された。興斎は文久3年(1863)から明治5年(1872)までのあしかけ11年間津山に住んでいた。この北町の屋敷の後、林田町に家を借りて住んでいるが、その場所は不明である。当時は明治維新前後の激動の時代であり、津山にいる間、興斎は東奔西走し、公私ともに多忙な日々を過ごした。
2017年5月3日に津山市総社にあるデイサービスセンター椿寿荘敷地内にある八十八ヶ寺の事を、理事長の小林 敏隆さんからお聞きしました。この弘法大師像は小林さんが友人に声をかけて創建されたそうです。小林さんは四国八十八カ寺になかなか出かけて行けない人のために、四国八十八カ寺を回り、お砂を頂いて来たそうです。その後、鐘楼も建立してこられたそうです。今では地区の皆さんが管理されておられます。
2017年4月1日、津山駅北口広場が新しくなり、公共交通の乗り換えも便利になりました。まだ、若干周辺の一部では工事がなされていますが、車での送迎も便利になりました。箕作阮甫像も、SLのC11-80号も移設が完了しました。まだ、これから53号線の道幅も広くなり、にぎわい交流館も出来るらしく工事が急ピッチで進んでいます。(2017年8月11日撮影)
「津山郷土博物館 平成26年度特別展 津山の商家が伝えた文人画 ~広瀬台山と飯塚竹斎~(苅田家コレクションより)」が平成26年10月4日(土)~平成26年11月3日(月)まで、津山郷土博物館3階展示室で開かれました。
苅田家は江戸時代から続く商家で、その邸宅は宝暦年間に建てられたと言われています。このたび苅田家からその邸宅を津山市に寄付されることになり、それに合わせ苅田家で所蔵していた古文書や書画類の多くが寄贈されることになりました。この書画類の中には、津山を代表する文人画家広瀬台山や飯塚竹斎の作品も数多く含まれています。
この展覧会では、苅田家の書画類の中から広瀬台山と飯塚竹斎の文人画にスポットを当て、津山の商家が守り伝えてきた絵画コレクションの一部を紹介します。(文:津山郷土博物館チラシより)(2016年10月4日撮影)
津山市神戸(じんご)におられる地神様ですが、いつも通るたびにお花が満開で綺麗です。誰がお守りしていらっしゃるのか本当に感心してしまいます。この地神様は津山一のべっぴんさんですね。(2017年8月4日撮影)
五穀をつかさどる倉稲魂を祀ったもので、建立食不詳。以前はお詣りする人も多かったとのことであるが、今では社に通じる参道も荒れており、殆ど参拝する者がいない。なお、横野川改修工事により社前の道が整備されるものと思われる。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年6月4日撮影)
この美術館は、保田扶佐子が絵に対する感性を育んだ生家の一隅に作られた小さなスペースです。保田扶佐子の絵画、版画、アーティストブックなどの作品と、30年近く居住し、制作活動を行っているスペイン・バルセロナ市に於いて蒐集した美術品、希少本などを順次展示しています。コレクション紹介のほかにも、随時国内外のユニークなアーティストの展覧会を行います。また、彼女が学んだ美術書を中心とした小さな図書室も設け、美術館の役割である「追憶」「創造」「教育」という理念の実現を目指しています。(文:保田美術館パンフレットより)(2017年8月13日撮影)