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稲荷神社(東一宮、坦地区)

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 五穀をつかさどる倉稲魂を祀ったもので、建立食不詳。以前はお詣りする人も多かったとのことであるが、今では社に通じる参道も荒れており、殆ど参拝する者がいない。なお、横野川改修工事により社前の道が整備されるものと思われる。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年6月4日撮影)

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2017年 保田扶佐子美術館常設展

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 この美術館は、保田扶佐子が絵に対する感性を育んだ生家の一隅に作られた小さなスペースです。保田扶佐子の絵画、版画、アーティストブックなどの作品と、30年近く居住し、制作活動を行っているスペイン・バルセロナ市に於いて蒐集した美術品、希少本などを順次展示しています。コレクション紹介のほかにも、随時国内外のユニークなアーティストの展覧会を行います。また、彼女が学んだ美術書を中心とした小さな図書室も設け、美術館の役割である「追憶」「創造」「教育」という理念の実現を目指しています。(文:保田美術館パンフレットより)(2017年8月13日撮影)

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龍寿山 天台宗 国分寺

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2017年6月11日、龍寿山 天台宗 国分寺に立ち寄ってみました。
 鎮護国家を標榜された聖武天皇は国ごとに国分寺、国分尼寺を置かれましたが、美作国にも現在の東津山駅から1kmばかり南東の場所に作られました。全国の国分寺の中でも最大級のものだったようです。(詳しくは、前回の国分寺の取材をご覧ください。)(2009年の取材/美作国分寺跡)(美作国分寺想像図

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大佐々神社(大篠)

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大佐々神社の由来
 大佐々神社は、大層由来深い神社であり、伝説に拠れば元奥谷の古宮谷山に「月読命」を祀る神社として鎮座し、本殿は享保拾年(1725年)六月、拝殿は同拾参年(1728年)八月に建設されたことが古記録書類にも残されており、壱千年以上にわたる歴史を持った名社なり。以後、天保拾五年(1844年)五月、東北条郡大篠村東分に大築大明神と御役所届をし、嘉永七年(1854)現在地に遷座された。

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津山・美作の国いにしえギャラリー by 江見写真館(第3回)

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二宮の松並木です。津山景観図屏風左隻 春の二宮の在りし日の松並木の様子が描かれています。また、説明もあります。

 1873年創業の江見写真館には三代目江見正(1890-1976)撮影の地域の歴史を記録するガラス乾板が多数保存されています。(写真、文:江見写真館提供)※一切の写真の無断転載を禁じます。

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津川神社(通称名 三浦八幡神社)

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 由緒沿革:本神社の創建は古老の伝えによると、元禄十四年である。慶応年間火災に罹(かか)り社殿は悉(ことごと)く消失した。社号は三浦八幡宮と号した。その後社殿の再建を計り、明治六年二月村社に列格した。
主祭神:品陀和氣命、例祭:十月十四日、境内地:百三十九坪、主要建物:本殿・幣殿・拝殿・社務所、摂末社:荒神社(中山神社・愛宕神社・子安宮)、氏子数:八十四戸、宮司:湯浅祐次、責任役員:山本光雄・山本雷太郎(文:岡山県神社誌より)


 大正4年下津川の箸蔵神社、塞神社、愛宕神社、滝神社を合祀した。
主な祭典:春祭り、四月(第二日曜日) : 夏祭り、七月(第二日曜日): 秋祭り、十月(体育の日)
(文:神社庁HPより)(2014年1月7日、9月26日取材)

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ふるさと資料館「温故懐館」春の特別展

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 恒例のふるさと資料館「温故懐館」春の特別展(2017年5月1日~3日、午前9時~午後4時まで)が津山市総社であり拝見してきました。(2013年の様子)
 家具・書や絵など、江戸時代から昭和の作品を約10,000点展示されています。今回はそれに加えて、郷土の画人「伊賀大年・田外白鷺・押柄憲璋・押柄江春」の作品も展示されました。

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「第21回 津山武道祭」が開催されました。

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第21回 津山武道祭が2017年7月2日(9:00~11:30)津山市山北の津山総合体育館で開かれました。津山剣道連盟の大林秀行会長が開会宣言をされ、津山市体育協会々長の藤田長久氏の挨拶の後、今年から学園長に就任された津山柔道連盟の高原清隆会長が挨拶をされ、武道祭が始まりました。
開催趣旨は、
 武道の修練は、強い心身を培うとともに豊かな人間性を育むことを目指しています。
当美作地方は、古来から武道に造詣の深いところであり、今後、当地において、武道競技人口の拡大並びに技術継承の推進による武道競技のより一層の振興と青少年の健全育成を図るとともに武道諸団体が一堂に会して錬磨し、交流と連携を深める場としての総合武道館の建設促進を目的に開催するものです。(文:武道学園パンフレットより)(2017年の学園稽古始めの様子)

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昭和38年~平成4年頃の元魚町商店街

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 銀天街や元魚町でまちづくりに関わってきた出口剛三さんからお話をお聞きすると、「なぜ早くから県北に商店街ができたのか不思議だったが、市(いち)としては明治初期の頃からあったようです。その当時は天然痘が流行っていて世の中が暗くなっている時に、少しでも町を明るくしようと、富クジを始めた。それが大当たりしたのが誓文払いのはしりとなった。平成4年頃の商店街には、それぞれの顔があり、元魚町商店街は、古本を集めてフリーマーケット(現在のフリマのはしり)をした。また、一番街はお化け屋敷、銀天街は生けすでうなぎを釣ってもらったり、カブトムシを展示したり、各商店街がそれぞれに抽選会をやった。当時のイベントで今でも残っているのは、幼稚園の子どもに協力してもらった一番街の七夕まつりです。」と教えてくださいました。(協同組合元魚町商店街の設立は、昭和38年7月22日です。)(平成29年7月現在の様子です。)(アルネが出来る前の銀天街の様子

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