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大崎神社(中原)

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大崎神社
由緒・沿革
 森家神明帳によれば、三條天皇の時代長和4年(1015年)11月に、前年、秋季より中原郷内に疫病が流行して死するもの多く、一年余りにして尚止まらず益々甚だしく、これを美作守源道方に訴えました。
 道方は当時宮内卿として美作守も兼務の折柄、宮内吏に崇神天皇5年、天下に疫病流行して止まらざるにより、翌年、和州笠縫の里に大国魂神、大物主神を勧請して三輪明神と崇めたら天下の疫病ことごとく治りました。
 この例を聞き、道方同年の貢稲100束をもって長和5年5月当郷に大国魂神を勧請して西大崎明神と、大物主神を勧請して東大崎明神と崇めたところ疫病がたちまち鎮止しました。
 以ってこの明神に不敬ある族は必ず疫病に懸かり、又は不幸に陥ると氏子大いに恐れまして厚く尊崇しました。

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「邪美館」閉店の日

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2018年9月29日に長年ジャズ喫茶として多くの市民の憩いの場だった邪美館(道路側が邪美館で、奥がビジネス旅館「蛇の目」として営業)が閉店しました。作陽音楽大が津山に在った頃は、音大の先生や生徒さん、津山中央病院の先生などジャズが好きな方が大勢来られていたのを思い出します。利用されていた方々の懐かしい思い出が詰まった津山の隠れ屋的なお店が消えるのは淋しいですね。
46年と長い年月素敵な思い出を残してくださったマスターをはじめスタッフの皆さん本当にお疲れ様でした。

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JR西日本 佐良山駅(津山線)

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佐良山駅(さらやまえき)は、岡山県津山市高尾にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)津山線の駅である。
津山方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)。棒線駅のため、津山方面行きと岡山方面行きの双方が同一ホームより発車する。

津山駅管理の無人駅である。駅舎は待合室兼用の簡易なものであり、改札がなく直接ホームに入る形になっている。自動券売機等の設備はない(入口手前にある駄菓子屋が切符の販売を行っている)。
(文:ウィキペディアより)

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丹後山の石仏ーおこり石伝承ー

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 日本に古くからある病気に「おこり(瘧)」という病気がありました。これは古代から知られており、「わらはやみ」とか「おこりやまい」などと呼ばれていました。定期的に悪寒・発熱などが起こる病気で、現在ではマラリヤ性の熱病と考えられています。
 このおこりを治す方法というのがさまざまに伝えられていて、たとえば石のコケやリンドウの花を煎じて飲むなどという療法が、伝承として残されています。また、こうした民間療法的なもののほかに、おこり石というものもありました。おこり石とは、霊験のある石に祈願しておこりを治すという呪術的な治療法です。これは各地に残されていますが、その一種と思われるものが丹後山にあります。
 それは石仏と呼ばれているものですが、今では訪れる人もなく、付近は荒れ放題になっていて、クマザサのやぶの端で斜めに倒れかかっています。この石仏は、他の地域でも見られるような地蔵などではなく、縦横一メートル五十センチほどの平らな石で、表に銘が彫られていますが正確には読み取れません。(上記地図写真:津山郷土博物館より)

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藤原顕輔 文学碑(総社)

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「過ぎつらん都のこともとふベきに雲のよそにもわたる月かな」 藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)
元永元年(1118)美作国守になった顕輔が若いころの介の位で美作国に着任、山国の名月に遠い都をしのんで詠んだ。顕輔は崇徳天皇の勅命で「詞花和歌集」を撰したがこの歌は「続詞花和歌集」に収録されていて名高い。
書は中原垂揚氏。神楽尾公園 昭和54年10月 設置

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2018 川崎で咲く紅白の彼岸花

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友人から「今、川崎で赤白の彼岸花が咲いているわよ~。」との情報が入ったので、に川崎で咲く彼岸花を撮りに行って来ました。昨年も行ったのですが白い彼岸花の群生は過去の取材で数カ所しかなかったので、ここは今年も沢山咲いていて安心しました。又、鶴山より少し遅れて咲き出します。(撮影:2018年9月26日)

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おばあちゃんと狐『山西の民話』

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 今から約百年も前の事です。
 田植がはじまって、田植の最中だったのです。家をしめてだれも田んぼで田植をしていました。
 おばあさんは一人早く帰って来て、晩ごはんの用意をしていました。だれもいない家の内はシーンとしずまり返っていました。台所でおばあちゃんは、夕御飯の用意をしていました。

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史跡津山城跡 三の丸北側発掘調査現地説明会

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 2018年9月15日津山城跡(鶴山公園)三の丸北側に於いて発掘調査現地説明会がありました。
津山市教育委員会文化課では、史跡津山城跡の整備事業の一環として、通路部分の調査を年次的におこなっています。平成30年度は、二の丸にある裏下門櫓台石垣の構造や、三の丸北側の江戸期の地表面を把握するために発掘調査を実施しました。

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谷崎潤一郎文学碑(小田中)

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「疎開日記」碑 谷崎潤一郎
「池に落つる雨の音侘し。因に云ふ。この御殿は明治初年にお城より此処に移し建てしものの由にて、愛山宕々庵と号す。床の間に松平康倫公の書『愛山』の軸をかけ、その上に鶴堂公書『宕々庵』の額あり。6畳の間に慎由公夫人静儀の和歌『山は今朝霞のきぬにつつまれて千代の色そふ松の対立』の額あり。」
文豪、谷崎は終戦間際の昭和20年津山に疎開。宕々庵で「細雪」を書き継いだ。八子・愛山

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