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赤穂浪士(美作国出身)「三士祭」

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 赤穂浪士で有名な「全国忠臣蔵サミット」が毎年、忠臣蔵に関係する市町村が持ち回りで開催地となり、津山市も数年前に開催されましたが、その後については地元出身の三士(神崎与五郎則休・茅野和助常成・横川勘平宗利)が津山藩もしくは美作国の出身でありながら何も行事が行われておりません。(忠臣蔵サミットには行政担当者が出席している)
 そこで、ささやかながら命日(旧暦2月4日)新暦では3月1日(木)に顕彰・慰霊祭を挙行することいたしました。
日 時 平成30年3月1日(木)9時から10時
場 所 徳守神社 神崎与五郎歌碑前(津山市宮脇町)
主催者 公益社団法人 津山市観光協会
協 賛 津山お国じまん研究会
後 援 津山市文化協会

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朝日神社(新田)

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 本神社は第26代継体天皇の御代に、当時神祇伯が素盞嗚尊は国土鎮護の神であるから、これを日本国内の川の西々、または山の尾前に勧請させられた。美作国にも旭川の西の木山宮、吉井川の西の上山宮、吉野川の西の高比野宮、広戸川の西の新田宮等がその時の鎮祀である。もと朝日大明神・新田宮・天王宮・牛頭天王社と称したが、明治4年朝日神社と改称した。昭和16年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。御祭神 素盞嗚尊,武仁親王 旧社格 村社 (文:岡山県神社庁HPより)(撮影2017年10月14日)

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薄田泣菫 文学碑(長法寺)

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 「銀杏よ、汝常盤木の神のめぐみの緑り葉を 霜に誇るに比べては何等自然の健児ぞや・以下略」
 明治10年、倉敷市生。昭和20年没。津山に心ひかれ訪れた泣菫が長法寺の大いちょうを見て創った「公孫樹下にたちて」は詩集「二十五弦」の巻頭を飾る。一年後に発表された「白羊宮」は明治誌史上の絶品と言われている。(文:城下町 津山文学碑めぐり)

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『 Nishiima 25(ヴァンサンク)』が完成まじか。

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 西今町の『片山邸』から『 Nishiima 25(ヴァンサンク)』 へ移り変わろうとしている途中を訪ねて来ました。ギャラリー、それにヴァンサンクスタイルのこだわりのカフェ3月29(木)11時からオープン予定だそうです。ここを運営するのは岡山県津山市生まれ、東京都町田市育ちの美術作家の櫻井由子さんです。ギャラリーがある素敵な居場所になりそうな予感がします。オープンしたら再度行って見たいと思います。(2013年の親子展by棟方志功・柳井道弘記念館

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【津山人】駒井匏軒翁碑(鶴山公園内)

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 駒井匏軒は幹夫津山候に仕へて先手弓頭となり祿五十石を食み、學問所教授を兼ぬ。兵學に通じ詩歌に巧に又書を善くす最も明楽に精通し特に横笛の妙手たり。晩年惟を垂れ名けて啓蒙學舎と曰ひ廣く青年子弟を数ふ。明治十二年七月歿す。歳五十六。匏軒文稿同詩稿の著あり家に藏す。(文:苫田郡誌より)(2017年6月14日撮影)

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2018 千光寺のツバキ

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2018年3月14日城東地区の寺下通りを散歩していたら、千光寺の駐車場の枝垂桜の蕾が大きく膨らんでいました。もうすぐ咲くのが楽しみですね。また、千光寺のツバキの花が咲いています。とても綺麗です。お花や香りを楽しみながらゆっくりと散歩してはいかがでしょう。

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【津山人】故郷を愛した人情作家 棟田 博(むねたひろし)

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棟田 博(むねたひろし) ー故郷を愛した人情作家ー
 「降るかとみればやみ、やむかと思えば降り、昨夜は危ぶまれたが、今朝は雲も見せぬ快晴である」と書き出しているのが「分隊長の手記」である。これが棟田博のデビューになった。彼が「赤紙」の戦時召集をうけたのは昭和12年、岡山の歩兵十聠隊に入ると第二次補充部隊要員として、北支の赤柴部隊に加わることになっていた。そして同13年5月の徐州会戦のとき、台児荘の戦闘で負傷、戦列を離れた。短い戦場体験であった。棟田は正規の徴兵検査に合格、軍隊生活をおくっていたので伍長になっていた。召集で分隊長であったのはそのためだ。「分隊長の手記」は14年3月号の「大衆文芸」から連載されたが、11月には単行本になって、翌年1月までの僅かな期間に30版を重ねた。すごい人気のデビューになったが、それには次のエピソードがあった。

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第18番札所 袖椀観音(福力)

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 堂内には、弘法大師と袖捥観音を祀っています。堂の表には3っの表札がかけられています。
【勝南霊場第18番観世音菩薩(白札)】
 高野山支部勝南祈四国18番霊場(木札)
 勝田西国 第12番(木札)
 この3種で、霊場巡りは、明治20年(1887年)頃から盛んになりました。
 昭和10年(1935年)頃でも、先達を中心として白衣姿の巡礼が札所を巡っていたのが見られ、札所近くの人が接待や仮宿をしていました。この巡礼めぐりの創設は、718年頃と言われています。
 【由来】文久元年(1861年)、辛酉の年のこと、殿さまは松平慶倫公で、前年には徳川幕府の大老井伊直弼が水戸浪士に討たれるという大事件【桜田門外の変】がありました。

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山口誓子 文学碑(衆楽園)

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「絲櫻水にも地にも枝を垂れ」(衆楽園)
 山口 誓子(やまぐち せいし)明治34年京都市生。昭和23年、俳誌「天狼」を創刊、主宰。
昭和54年、西東三鬼の「花冷え碑」対面に訪れた折、衆楽園を吟行しこの句を残した。平成4年文化功労者顕彰。「激浪」「遠星」「七曜」などの句集がある。(文:津山文学碑めぐり)(2016年11月12日撮影)

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吉田神社(西吉田)

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由緒・沿革 
 吉田神社の前身として、西吉田には2つの神社がありましたが、年代は不明とのことです。昔、出雲大社から御分霊を迎えて、西吉田地区内の南と北に祀りました。1社が現在の吉田神社の地、もう1社が現在金刀比羅宮のある地です。当初は、大国主神社と言っていましたが、その後、両国主大明神と改称しました。戦国時代、山名氏と戦い、敗れて西吉田に住み着いた難波氏がこの神社の社務に従事したとのことです。又、江戸時代、天明7年(1787年)西吉田が、千葉県の下総佐倉の城主堀田正順の領地になった時、現在の吉田神社の南下に陣屋を設け、この神社を鎮護の神社として、毎年3俵の寄進をしたとのことです。
 その後明治4年(1871年)2月に、北の国主大明神を南の現在地に合祀して、社名を吉田神社と改称しました。又、明治5年に北の跡地に金刀比羅宮を祀って現在に至っていますし、明治6年には村主となって、主祭神は大己貴神(大国主大神)です。
 昭和20年(1945年)の終戦により、国家神道は解散となり、宗教法人として再出発をし、昭和27年には宗教法人吉田神社として登録され、岡山県の認証を受けています。また平成9年よりオーム真理教の事件により、内容を再調査することとなり、毎年、報告書を出しています。(文:大崎地区歴史を考える会発行『大崎の歴史と文化神社編』より)

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