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2015年8月11日のサンヒルズお盆市

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2015年08月11日(火)9:00~津山市地産地消センター・サンヒルズで、お盆市がありました。サンヒルズ内ではお供え用の花や果物などを買いに来られたお客様で賑わっていました。また、サンヒルズ駐車場で行われたお盆市では、津山黒豚のお好み焼き、かき氷、焼きそば等が売られていて大勢のお客様で賑わっていましたよ~。
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小田中田中の荒神様

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小田中田中の荒神様 (2015年5月5日・9日、3月31日取材) 子どものお祭り
 小田中の由来は田中郷からです。『和名抄』(わみょうしょう)には、田中郷は苫田郡七郷の一つと書かれています。当時の田中郷は、西は現在の筋違橋(す じかいばし)東の宮川まで、北は上河原から南の吉井川まで広い地域であり、城西通り一帯は河川敷であったと書かれています。田中の地名も田中郷に由来して います。
 町内の中心には白加美守護神があり、東面には農耕の守護神として荒神社が祀られています。

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白加美神社と2015年の納涼会

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2015年7月19日(日)≪前回の取材:2009年2009年秋紅葉2010年元旦2010年2011年夏2011年秋まつり2012年春2014年桜2014年夏2015年冬・ ≫


 小田中は湖水面が広がっていたと考えられる。材料として、苫南郡田中郷小田中村(現、津山市小田中)に所在の「白神社」(通称、しらかみさま)が ある。白神社は、天照天神、正哉吾勝尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊、鵜草葺不合尊の地神五代を祭神として祀ると伝へられるが、この白神社の末社である「月輪 神社」の存在は無視することの出来ない重要なものである。

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小田中奥田中の荒神様

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 小田中の由来は田中郷からです。『和名抄』(わみょうしょう)には、田中郷は苫田郡七郷の一つと書かれています。当時の田中郷は、西は現在の筋違橋(すじかいばし)東の宮川まで、北は上河原から南の吉井川まで広い地域であり、城西通り一帯は河川敷であったと書かれています。田中の地名も田中郷に由来しています。
 小田中・田中北部に荒神様があります。農耕の守護神として祀られています。今では地元の方7人程で年に2回ほど集まってお参りしておられるとか。(2015年5月9日取材)

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【津山人】 保田扶佐子さん(抽象画家・版画家)

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保田扶佐子さんの津山高校入学式の記念写真。


★岡山大学時代のエピソード「津山線にはゲーリークーパーがいた。」

  その人は津山線の有名人だった。その頃、岡山にはミシガン大学があったそうで、ミシガン大学生を相手に似顔絵を描いて生活していたゲーリークーパーのそっくりさんで、自分であだ名をゲーリークーパーとつけていたそうです。常に英語の本を持っていて、その人に捕まったら英語で話さないといけなかったそうで皆で捕まらないようにしていたとのこと。昭和40~50年頃までいらっしゃったそうです。



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2015年8月はイナパパの誕生日「イナバ化粧品店」

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お誕生日おめでとうございます。2015年8月9日今日は稲葉浩志さんのお父さまの誕生日です。今年も店内いっぱいのお花が届けられていました。稲葉浩志さんからは、各種ひまわりをアレンジした花束でしたよ。それにしても羨ましいくらい仲が良いお二人ですお二人そろっていつまでもお元気でいてくださいね。

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広野保育園で糊絵の具による絵画指導がありました。

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2015年8月5日(水)午前10時~、広野保育園で保田扶佐子さんの指導の下、糊絵の具による絵画指導がありました。子どもたちは、とても楽しそうに、のびのびと描いていました。また、子どもたちの作品を観て、改めて子どもの豊かな感性にびっくりしました。素直で一直線に感じたままを描く園児たちにいつまでもこの感性を持ちつづけてほしいと願いました。

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高野山西はタニシの産地だった。

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 タニシは、淡水産の巻貝です。貝の口にふた(へた)があります。この地方では「タノシ」ともいいました。
 昔の山西の水田はほとんどの田が湿田で、またどの農家でも牛をかっていました。牛は農作業にかかせませんでした。まや(牛ごや)のしきわらで、だいじな堆肥を作りました。その堆肥はほとんど田に入れました。それがタニシのえさをふやし、そこがよいすみかになりどの田にもたくさんのタニシが田のどろの上をはっていたものでした。

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明治天皇の侍医頭 岡玄卿

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 明治天皇の崩御に立ち会った医師・岡玄卿が、津山ゆかりの人物だということをご存知でしょうか。
 岡玄卿は、墓誌によると1852(嘉永5)年に津山藩の大坂蔵屋敷で生れたとされます。大学東校で医学を専攻し、1876(明治9)年に東京医学校(翌年東京大学医学部に改称)を第一期生として首席で卒業。同大の助教を経て、助教授となりました。
 1883(明治16)年に宮内省から侍医を拝命し、ドイツ留学後に侍医局長を経て侍医頭となり、1912(明治45)年の天皇崩御に立ち会ったのでした。

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第19回 津山武道祭がありました。

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 平成27年7月5日(日)、津山総合体育館において、始めてから19年目になる武道祭が開催されました。

元々は、体協なりスポ少で一緒になる武道団体が懇親会を開いた時、同じ武道団体が一緒になって何かデモンストレーションでもしたらどうかという意見がどこからともなく出て、それはいいことだ、是非やろう ということから文字通り「0(ゼロ)からの出発」で、お互いに手作りで始めたのがきっかけでした。

 あれから19年、津山市内で活動している武道7団体(柔道、剣道、空手、合気道、弓道、相撲、少林寺拳法)が一致団結して毎年この時期に開催しています。

(文:津山少林寺拳法 畝岡文隆様、写真:津山合気道連盟 仁木富士夫様・津山少林寺拳法 畝岡文隆様)

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