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合併記念碑(下高倉東)

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合併記念碑(下高倉東有重)
 高倉小学校北の道から一段上がった高倉村役場跡の大銀杏の下に、「合併記念碑」が威容を誇っている。高倉村が近隣9か村と津山市に合併した昭和29年(1954)7月から5年を経過した昭和34年(1959)7月に、難波保外16人が発起人となり、合併5周年を記念して建てたと記されている。
合併記念碑 碑文
 和銅弐年備前六郡を割いて美作国を置く 当時より高倉川の流域及び大篠山東西の地域を含めて高倉郷或いは高倉の庄と呼び郡の中部を東西に走る街道に沿う地であった。後久しく封建制度の下に小村が独立して来たが明治22年上高倉下高倉東下高倉西の三村を併せて高倉村となし自治制を布く昭和29年周辺9ヶ村と共に津山市に合併して今日に至る。この間遠くは近平用水路の開鑿近くは土地改良事業など共に高倉の躍進を約束する輝かしい事蹟として特記すべきものがある。茲に合併五周年を記念し有志相謀り旧高倉村役場跡に碑を建て幾多先人の功を偲ぶ資料として更に後人の奮起を期待する次第である。
昭和34年7月1日 難波 保 撰

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「津山さくらまつり」のオープニングセレモニー

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4月1日(土)10:00~10:30「津山さくらまつり」のオープニングセレモニーがありました。残念ながら今年は全国的にもさくらの開花は遅れているようで、津山でもまだつぼみの状態でした。ここ津山の桜は「さくらの名所百選」に選ばれているさくらの名所です。毎年オープニングを飾るのは「津山情緒保存会」のみなさんの踊りです。テープカットの後に入園された方先着1000名に「紅白餅」がプレゼントされました。

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愛宕神社(東一宮)

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愛宕神社 津山市東一宮
 祭神は「いざなみのみこと」。
かつてはこの集落の鎮護と防火の神として敬われて、年1回の春の作道作りのあと、神前で簡単な祭事と集会が行われていた。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

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アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真

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吹屋町
寛永2年(1625)に、瓜生原村と金屋村から移住した鋳物師によって成立したとされる町である。江戸時代前期の様子を伝える絵図では鋳物師町と記載されているものもある。吹屋とは鋳物師の別称で、この町に住む職人によって、美作地域の多くの寺院の梵鐘が鋳造された。また、日常的には、鍋・鎌の修繕なども手がけていた。(文:津山まちづくり本舗 津山城下町まちなか お社巡りより)(写真提供:中山須美子さん)

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大森神社(東一宮)

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大森神社(牛頭天王) 津山市東一宮
 字天王にある「大森神社」は、牛頭天王をお祀りしている。牛頭天王とは、祇園精舎の守護神であって薬師如来の化身と称される。また祇園とは、孤独長者の買う設備のある壮厳を極めたところをいい、地獄の獄卒の一つで体は人の如く、頭は牛の如きものをいう。
 この神社に祈願すれば、疫病退散の効能が著しいと言われ、一宮の市盛んな時には、参詣者特に多くご利益をいただいたという。当時は境内も広く木立も多く立派な神社であったが時代の流れに押され、ささやかな姿を止めている。なお、現在も近隣の人々により年2回祭事が執り行われている。v(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

田外醤油本店≪ヒサゴ醤油について≫

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≪ヒサゴ醤油について≫
田外醤油本店の商標はヒサゴ(瓢箪)で、濃口(特選、金印、赤印)、淡口、さしみの5種類を製造していた。中でも、天然醸造された〝ヒサゴ特選しょうゆ〟は1年以上もかけてじっくり熟成させた天然諸味を使用し、自然なもの、純粋なものを目指して味わい一筋に磨き上げた逸品として人気を博した。
≪醤油の種類≫・濃口(特選、金印、赤印)、淡口、さしみの5種類 ・中でも、特選が一番人気であった。
(2017年3月19日取材)

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津山観光センター復旧オープン式がありました。

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昨年11月に火災があった「津山観光センター」が2017年3月13日より土産物販売店や事務所など一部復旧工事を終えて営業を再開しました。復旧オープン式では市観光協会の竹内佑宜会長が「いろいろとご迷惑をおかけしましたが、4月に向けて心もリフレッシュして皆様をお迎えしたい。」と挨拶されました。再開された売店は以前より商品の配置を低くし、発光ダイオード照明などで明るい店内になっていました。1階 食堂、2階 会議室については、6月から補修に着手する予定だそうです。売店は午前9時~午後5時(4~9月は同6時)。年末年始を除き無休。(取材:2017年3月13日)

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一の矢橋(東一宮)

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昔、中山神社の「流鏑馬」の神事が行われた時、この橋から一に矢を放っていたと伝えられる。(難波酒造前の橋)。なお、後に人の往来が多くなり、この儀式は一宮構えの西側通路にて行われるようになった。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

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太田西遺跡(東一宮)

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 北側グリーンヒルズの一角、一番高くて展望の良い県道沿いにある。遺跡は土が高く盛り上げられ住居跡は見られないが石名鑑がある。碑文は下記の通り。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)
 大田西奥田遺跡の縄文時代の住居跡だそうです。1993年の発掘調査により、直径3.2m・深さ25cmの竪穴式住居が発見されました。この住居跡は今から7~8千年前の縄文時代早期のもので、この時期の住居跡としてはきわめてめずらしいものです。又、この住居跡の近くからは落し穴もみつかり、この付近に集落が広がっていたものと思われます。このため遺跡の範囲を盛土のうえ遺跡広場として保存することにしました。(2016年4月17日撮影)

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耳地蔵(東一宮)

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耳地蔵 津山市東一宮141-2
 大庄屋の中島孫左衛門は、朝鮮出陣中討ち取った敵兵の耳たぶを斬り戦功の証としたが、軍命によるとはいえまことに哀れなことなので帰国後ここに塚をつくり『耳地蔵』としてその霊を弔った。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

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