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駅前商店街にあった喫茶サクラ

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 イナバ化粧品店で難波さんの奥様と出会い、みんなでワイワイガヤガヤ話しているうち、駅前商店街の喫茶サクラの話となり取材させていただきました。津山駅前で昭和21年に難波さんが親子二代にわたり68年間営業して来られ、長い間市民に親しまれてきた「喫茶サクラ」が津山駅北口広場の整備に伴い2014年10月19日に閉店となりました。記憶の中にあるサクラと言えばサイフォンでたてるコーヒーでしたね。幾度となくお邪魔した当時の懐かしい写真をお借りしてきました。(2017年5月18日撮影)(※10年前の様子です。)

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惣神殿(美作の古社諸神を祀る)

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『中山神社資料』によれば「美作の国中12郡の大小神社の神を祀る」とある、別の言い方では「山上山下120社」とも。寛保2年(1742年)の造営で、社殿は春日造りの一変形で唐破風がついている。屋根は桧皮葺、荘重華麗の趣に富む造りで、境内に占める位置から見ても全体の調和が良く整っている社である。
 18世紀の中頃の神社建築を伝える建造物として、平成20年(2008)10月30日津山指定重要文化財に登録された。大正3年に御手洗川の外から現在地に移転された。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日.6月14日撮影)

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愛染寺四国八十八ヶ所霊場お砂踏み

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 2017年4月29日(土)10:00~四国八十八ヶ所霊場お砂踏み(三年に一度)がありました。「お砂踏み」とは、四国遍路ができない人の為に、四国遍路を身近に感じられるようにと八十八ヶ所霊場の砂を踏みながらゆっくりと巡ってお蔭をいただく行事だそうです。また、写経をや写仏を描いたりしながら無心になって心を落ち着くひと時を過ごすそうです。境内にはぼたんの花が美しく咲いていました。(情報提供:愛染寺密教婦人会)

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昔なつかし津山の商店街(一番街)

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アルネが出来る前の津山一番街(協同組合津山一番街は、昭和38年4月4日の設立です。)
津山一番街はJR津山駅から北へ400m程の市街中央部にあり、鶴山通り京町交差点から西へ長さ200m程続くアーケード商店街で、かつての出雲街道筋に沿っています。
平成6年に付け替えられたアーケード入口には「ソシオ」のロゴが記され、現在商店街は「ソシオ一番街」といわれています。(文:おかやま商店街ナビより)(写真提供:中山須美子さん)

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中山神社の表神門

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 表神門は「四脚門」ともいわれ、榎材の四柱に支えられている。なかでも表側の二本は「鏡柱」といい表向きに矢防ぎの幅を持つ。屋根は平入切妻破風造り、総体「医薬門」という形式で前後非対称でバランスを保つ構造である。
 この門はかつて津山城大手二の丸にあったもので、城中にあった時も扉を持たぬ門であったことが城の古図に見られる。津山城の今に残る数少ない建造物として貴重なものである。
 明治7年7月に神門として中山神社に移築された。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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市内Aさん宅の庭のバラです。

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2017年5月25日にAさん宅へ伺いました。ここは素敵なお庭が造られていて、日本庭園が右半分で左半分はイングリッシュガーデンの様になっています。この庭に入るとバナナの匂いのする木が植えられていて花が咲くと本当にバナナの匂いが香ってくる素敵なお庭でした。

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中山神社の鉾立(ほこたて)石

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 中山神社は西国壱の軍神(厳島・吉備津と並んでその筆頭)であり、天下の大変・大乱に際しては朝廷より全国7社の一つとして特別の護国祈願を仰せつかる。例えば天慶2年(939年)平将門の乱、弘安4年(1281年)の元寇など。その祭事は格別の秘儀で、現小原地区内大築公園あたり、昔は鬱蒼たる「雫が森」その中に中山の離宮たる大築神社があった。
 秘祭「鉾立て」に神事は大築の境内で行われた。中央に大鉾、四方に小鉾を立て、大鉾前に祭壇を設けて荘厳神秘の深夜の祭典であったという。鉾立石はそれらの鉾を立てた基石で、上面中央に凹みがある。
 現在中山神社境内本殿南(国司神社)の段に、有志による由来記の碑とともに、その一石が置かれている。また祭事の行われた雫が森の跡あたりにもその一つが置かれ、地元の有志による説明板が立っている。 中山境内の石と小原のそれとは鉾立の凹みの形状が異なる点も興味を引くところである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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橋本家バラの庭園

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2017年5月25日に橋本さん宅のバラの庭園を拝見しに行って来ました。今年は満開のバラの花のアーチがいくつもあって見渡す限りのバラの花で埋め尽くされていました。そしてバラの花のたもとでは可憐に咲く色とりどりの花が咲いていました。また、橋本さんは多くの趣味を持たれていてお部屋の中では総務大臣賞に輝いた墨絵などが飾ってあり、見惚れてしまいました。

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羽留石(はどめいし)

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 中山神社の北側を流れる鵜羽川に二抱えほどの大きな岩がある。
神社伝説によると「中山の神が霧山の磐座にいたとき、永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所に居を構える」とした。長良川の麓の石で止まり、『羽留石』として今でも里人の寄進による注連縄が張られている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日取材)

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唐人墓(津山市東一宮)

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 この墓は、文禄元年(1592年)豊臣秀吉(文禄の役)に捕らわれ、連れてこられた者たちの墓という。一宮の中島孫左衛門は、宇喜多秀家に従って出陣を命じられ、田辺郷や苫田郷の人々を引き連れ、海を渡り各地を転戦した。その際、全羅道松県で捕らえた城主父子達を故国に連れ帰った。
 その後、両国が和睦のとき父達は帰国し、子は妻を娶り松県に因んで松村を姓としたという。
 なお、のちに道路拡幅工事により、墓は現在地に移された。
 この「唐人墓」や東一宮の「唐人田」は、彼らの偉業を伝えるものである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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