2022 小田中より見る初日の出
あけましておめでとうございます。小田中の小高い丘から眺める市内中心部の雪景色です。
2022年の初日の出は、大晦日から降る雪でたぶん見えないだろうと思いながら、年の初めなので市内が見渡せる小高い丘の上まで登ってきました。やはり、くっきりとした日の出は見えませんでしたが、うっすらと初日の出らしき光が見えて来たので、思わず撮ってきました。
今年もオミクロンに注意しながら健康に気を付けてまいりましよう。本年もよろしくお願いいたします。
あけましておめでとうございます。小田中の小高い丘から眺める市内中心部の雪景色です。
2022年の初日の出は、大晦日から降る雪でたぶん見えないだろうと思いながら、年の初めなので市内が見渡せる小高い丘の上まで登ってきました。やはり、くっきりとした日の出は見えませんでしたが、うっすらと初日の出らしき光が見えて来たので、思わず撮ってきました。
今年もオミクロンに注意しながら健康に気を付けてまいりましよう。本年もよろしくお願いいたします。
2021年12月13日、小田中の田口家のイルミネーションを拝見してきました。
田口家に近づくと暗闇の中一段と明るく輝いていました。それに、庭木には沢山のイルミネーションが飾られて満点の星が美しく思わず「わぁ~きれい!」と。また、沢山のトナカイさんがお出迎えしてくれました。それにサンタさんや愉快な仲間が可愛く飾られて、まるでおとぎの国に来たようでした。
2021年12月12日の美作大学のイルミネーション
新型コロナウイルスの影響で2年ぶりに美作大学のクリスマスイルミネーションが12月8日に灯りました。このイルミネーションは、美作短期大学部の幼児教育学科の学生さんが飾り付けたそうです。このクリスマスイルミネーションは12月25日まで、毎日午後4時半から午後9時まで灯るそうです。
イルミネーションの周りを走りながら楽しそうに笑う子どもさんの声や、盛んに写真を撮る若者の声が聞こえました。イルミネーションの光は見る人を楽しくしてくれる不思議な力がありますね。
2021年11月3日のリージョンセンター周辺の紅葉です。(昨年の様子)
毎年、通るたびに奇麗だなぁ~と思ってついつい撮ってしまいます。
2021年10月29日・2021年11月9日の津山市役所前のモミジバフウ(紅葉葉楓)の紅葉の様子です。
津山市役に用があり立ち寄ってみると、市役所前の通りの木々が紅葉していてとても美しく感動しました。木々に降り注ぐ太陽の光がモミジバフウの葉を一層美しく引き立たせていて、ついついカメラで撮ってしまいます。昨年も綺麗なので思わず撮りましたが、何度見ても綺麗なモミジバフウの通りですね。
この木は、中米が原産のマンサク科フウ属の落葉高木です。紅葉楓と漢字で書き、カエデをフウと読んでいますが、カエデ科ではないとのことでした。
綾部西で咲くコスモスの花
2021年10月10日、秋晴れの中加茂町に行く途中に見かけた可愛らしいコスモスの花を撮ってきました。ここは「農村環境向上活動 景観形成 花いっぱいの郷 綾部西エコネット」の看板が建てられている田圃で、赤・ピンク・白・黄色のコスモスの花が風に揺れて楽しげです。
(この活動の未来は、より良い環境に恵まれた持続可能な社会 ~山から海まで 豊かな岡山を 次世代へ~)
毎週金曜日 10時~16時「金曜マーケット」で郵便局前が賑やかになります。2021年10月8日の金曜日久しぶりに伺ってきました。着くとすぐ大勢のお客様が競うようにして買い物をされていましたよ。店頭ではお魚類が沢山売られており、どれもこれも食欲をそそる品物ばかりです。それに素敵な方々が笑顔でにっこり!皆さん、とてもやさしくてまた来たいと思える「金曜マーケット」でした。
又、10月24日(日)は、元魚町町内会だんじり(麒麟臺)展示と「きのこちゃん」ものまねライブショーがありますので、是非来てくださいね。
マルホ商店・ハシモト成果・早瀬豆腐店・ステーキサンド「ファボリ」・創作カレー「チムニー」他、季節限定出展者あり。※内容は変更になる場合があります。
2021年9月19日(日)・20日(祝)の2日間、山下の城下町旅籠お多福に於いて『青雲山河』の人々展があり、訪問してきた様子を載せてみます。これは、「作州維新文庫」を運営されている竹内祐宜さんが、津山朝日新聞に連載中の歴史小説『青雲山河』に登場した人々の遺墨など、関連資料の展示でした。松平確堂(津山藩主松平康倫)、岸田吟行の書がすごく素敵でした。
荒神社(旧無格社)津山市近長298
主祭神:素戔嗚尊、例祭:10月22日、主要建物:本殿・拝殿、
由緒沿革:本神社の創建は弘仁12年と云うが不詳である。
下は代官屋敷跡、上は八坂神社がある。(文:『岡山県神社誌』より)(2021年9月9日撮影)
約100年前の古き良き時代(大正元年~昭和9年頃)の神傳流の記録写真
田中義男さんの遺品の中にあった、昭和の初期から10年間ほどの神傳流の記録写真がありましたので一部をご紹介してみます。(神傳流とは、日本泳法の一流派。加藤清正の臣、貴田孫兵衛統治を流祖とし、伊予国(愛媛県)大洲藩士加藤主馬光尚に伝えられ、美作国(岡山県)津山藩士植原六郎左衛門正方が広めた。あおり足を基本とし、真・行・草の三体の泳法があり、遠泳に適する。皇朝神征水軍練法ともいう。)コトバンクによる。
田中義男さんは子供のころから熱心に神傳流を続けていて指導者の資格も取得し、大学が休みになると帰ってきては子ども達を指導をされていました。
アルバムを拝見しながら背景に写っている風景からして、茅町や安岡町あたりでしょうか?いずれにしても昭和初期はこんな風景だったのだと。