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津山洋学資料館夏季企画展(資料・モノ・がたり)

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箕作阮甫と東海道

 1853(嘉永6)年、ロシアから開国交渉の使節としてプチャーチンが来航し、箕作阮甫はその対応御用を命じられました。長崎でロシア使節との外交交渉を終えた阮甫は、山陽道、東海道を経て江戸へ戻ります。その途中、小倉でペリーの再来を知らされ、また、広島の沼田では急ぎ戻ってくるよう指示を受け津山への墓参も中止して、先を急ぎました。

 阮甫が足早に通り過ぎた東海道は江戸時代の主要街道で、多くの浮世絵師がその宿場を描いています。阮甫の日記「西征紀行」の記述とともに各宿場の様子をご覧ください。

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在りし日の津山の風景展 其の弐

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写真や古地図など約90点を集めた懐かしの風景紹介と題した写真展が、2014年7月11日(金)~24日(木)津山市田町の城西浪漫館でありました。今は昔、鶴山通りが出来る時の様子などの写真もあり、「あぁ~そうだった!」と当時の記憶を思い出しながら拝見しました。


主催者の赤坂健太郎さんは「これを企画した思いとして、今となっては失われた津山のかつての風景を見ていただき今後の津山の街作りのヒントとなれば、そしてかつてはこんな津山の姿が見られたのかという再発見をしていただければと思い企画しました。」とコメントをくださいました。

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地ビールフェスタ in 津山

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■期間:7/12(土)・19(土)・26(土) 8/2(土)・9(土) ■時間:PM4:00~PM:9:00(PM8:30オーダーストップ)
■会場:ソシオ一番街、アルネ津山東広場にて恒例の地ビールフェスタ in 津山が開催されています。日本全国から厳選されたご当地自慢の地ビールが津山に大集合していますよ~。皆さんお出で下さいね!(2014.7.19)

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長法寺の紫陽花を見てきました。

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2014年7月1日(火)あじさい寺【長法寺】に行って来ました。

阿弥陀如来を本尊とし、脇侍に天台大師、伝教大師をおまつりしている。現在のお堂は弘化2年(1845年)西方にあったものを移し、阿弥陀堂兼客殿として再建す。
明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた。本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子があります。2009年の紫陽花の様子はこちらから名木百選 長法寺のイチョウ

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高倉ふれあいの森(プレーパーク)オープン!

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平成26年7月9日(水)15:00~16:00「高倉ふれあいの森」オープニングセレモニーが高倉公民館にてありました。(主催は、高倉自治協議会・NPO法人たかくら村です。)プレパークで行う予定があいにくの雨で急遽高倉公民館にて行われました。高倉小学校の子どもたちも加わりテープカットの後、願い事を書いた風船を大空高く放ちました。

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押し花を楽しむ仲間たち展がありました。

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2014年7月11日(金)~13日(日)AM10:00~PM6:00(最終日PM5:00)

会場:津山市立文化展示ホール(アルネ4階)でありました。会場内には9名のインストラクターさんと生徒さんたちの楽しい作品が所狭しと並んで、観る人までも楽しくさせてくれました。

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河辺神社お旅所(津山市河辺)

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 河辺町内中心地上の町(桝形)のほぼ中央に位置し、普段は広場になっていますが、河辺神社のお祭りの際には、御神輿の中継場所とし使われ、御神輿で運ばれたご神体が一時滞在し、お宮と同じく子供による舞が奉納されます。
 今の場所へは戦後移転されたもので、昔は東坂のすぐ近くにあり、出雲街道を通る殿様への恭禮の場所として使われていたそうで、御禮場と呼ばれ屋号も残っています。

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妙見さま(津山市林田山根)

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 人の運命の鍵をにぎる星の神様。長寿、息災、招福を祈願する。

わが国では室町時代から、日蓮宗において妙見信仰が盛んに行われるようになった。

光善寺内、通称妙見山の山頂にあったが、現在は山根稲荷の横に遷座されている。祭りは4月の第2日曜日行われている。(2014年6月27日取材)

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国分寺道・長尾山道 道標(津山市河辺)

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 現在多くの場所に、昔の街道沿いに配置されていた道標が残っていますが、河辺町内でも数カ所に残されています。
この道標が、真加部街道の起点で、田熊・植月を経由し真加部までの信仰・農耕・年貢輸送の道でした。
兼田橋東詰めには、国分寺道の道標が残っており、当時国分寺へのメイン街道としての、大きく立派な石碑が建てられています。道標は、他にもまだ点々と多く残っているものと思われます。(河辺の史跡・作成:河辺親和会・河辺町内会より)2014.5.18

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岩神大明神様(津山市河辺)

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⑨岩神大明神様
 腰の痛みによく効く神様として、多くの人がおまいりしています。
農作業等で腰が痛くなった時、岩神様の石を背負うと治ったそうで、社には蛇がまつられています。
 以前この場所では蛇がたくさん住んでいたそうです。
 昔河辺地区で、表面に露出した大岩は、現在の岩神様のところしかなく、信仰の対象となったものと考えられます。

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