綾部の花桃通りを発見!
2021年4月5日の綾部の花桃通りです。
津山市綾部の県道近くのお宅の庭先に可愛いお花が植えてあり、その花に誘われて脇道に入りそのままどこに通じているんだろうと進んで行くと、しばらくして花桃が綺麗に咲いている処に出くわし、車を止めて散歩している方にお話を聞くと、「すぐそばの脇道から入ると凄くきれいな花桃の通りがあるよ。」と教えてくださったので早速写真に撮ってきました。そこは、工業団地すぐ傍の細い道路で花桃が美しく咲く道でした。勿論、発見した時は感動ものでした。
2021年4月5日の綾部の花桃通りです。
津山市綾部の県道近くのお宅の庭先に可愛いお花が植えてあり、その花に誘われて脇道に入りそのままどこに通じているんだろうと進んで行くと、しばらくして花桃が綺麗に咲いている処に出くわし、車を止めて散歩している方にお話を聞くと、「すぐそばの脇道から入ると凄くきれいな花桃の通りがあるよ。」と教えてくださったので早速写真に撮ってきました。そこは、工業団地すぐ傍の細い道路で花桃が美しく咲く道でした。勿論、発見した時は感動ものでした。
2021年4月2日の三浦駅の満開のさくらのトンネルです。
週末から雨が予報されていたので、その前に三浦駅のさくら満開の様子を撮りに来ました。前回の撮影から2年ぶりですが、とても美しいさくらのトンネルは健在でした。この日は因美線の列車と満開のさくらのコラボを撮ろうと多くの撮り鉄ファンが来られていて盛んにシャッターを押しておられました。
多胡家 多胡勘右衛門 東北条郡綾部村 森藩~松平藩
大庄屋まで
多胡氏は、尼子氏の家臣として出雲国に居住していた。尼子氏滅亡後は宇喜多氏に仕え、医王山合戦では宇喜多氏の武将として戦っている。秀吉の朝鮮出兵に参加したといい、宇喜多氏滅亡後、綾部村に帰農した。吉兵衛が森藩の大庄屋に任命され、以後大庄屋を勤めた。
大庄屋として
大庄屋を勤めた多胡氏は、屋号を米山という。経済的に行き詰まり、安永5年(1776)大庄屋職を取り上げられ、その後再び大庄屋に任命された。栄二郎は第1次長州戦争に従軍した。(雲路日記)
2021年2月13日に、まむし除けと安産の神様として知られる福力荒神社の大祭に行ってきました。
今年は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、神事のみとなり、また参拝前に手を消毒してお参りということになりました。この福力荒神社大祭は、旧暦1月1日~3日の大祭(2021年は2月12日~14日)に参詣すれば、家族全員が1年間まむしの被害に遭わないといわれています。期間中は参道に多くの屋台が立ち並びます。
2021年1月23日、2月3日に、保田扶佐子美術館を訪問してきました。コロナ禍のなかで久しぶりの訪問でしたが、保田さんはいつものお元気な笑顔で迎えてくださいました。美術館の中では、丁度、作品を描かれているところでした。保田さん曰く「コロナ禍なので、こうして絵を描いています。」との事でした。制作中を拝見するのは初めてで、こんな雰囲気の美術館もいいなぁ~と感じました。
2021年1月14日津山市小田中にある白加美神社で、毎年恒例のとんど焼きがあり、今年もお飾りを持って行き無病息災を祈りながら焼いてきました。各地域でとんど焼きの日にちは違うと思いますが、白加美神社は毎年1月14日にとんど焼きを行います。今年は長老にいいこと聞いたので、ここに記しておきます。
なんでも、お飾りを焼いた灰を、線香立ての灰として使用するといいのだそうです。長老曰く、「この灰に線香を立てていくと次々に線香の灰が積み重なっていき丁度よくなる。毎年こうしている。」とのことで、居合わせた皆で「早く聞けばよかった!」と言いました。今までは、毎年お飾りを焼いた灰を持ち帰り、家族のおでこに塗るとその年は健康でいられるという風習があり、そのために灰を持ち帰っていたのですが他にも利用できることを知り得した気分になりました。
また、節分の豆まきが終わった後の散らばった豆をひろっておいて、雷のなる日に撒けば雷が逃げていくという話が昔から伝わっているのだそうです。町内でも世代を越えて集まりワイワイ話す機会がない中、この様な行事で長老の話に耳を傾けるのもいいものだと思うこの頃です。
2020年10月18日の的場公園の花です。(春のさくらの咲く頃)
津山市沼を通りがかったら可愛いお花が目につき、車を止めて少し散歩がてらに訪問してきました。
ここの公園は静かな住宅街にある公園で、道路に面したちょっとしたスペースにお花が植えてあり四季折々楽しめます。春にはさくらの花が咲き、お手入れされた花壇はほんわかして癒される場所です。
大隅神社は、奈良時代の和銅年間(707~715年)以前の創建と伝えられている古社です。拝殿は昭和に建て替えられたそうです。神輿は、1842年に造られたもので、津山市の重要有形民俗文化財となっています。また、神門は津山城内にあったものを移築したもので格式があります。
まだまだ先の見通せない時勢なのですが、新型コロナウイルスの収束や家族の健康などを祈りました。
2021年1月2日の作楽神社の初詣の様子です。(作楽神社の詳しい記事はこちらをご覧ください。)
「太平記」と児島高徳 児島高徳は忍びの頭だった。
「天莫空勾践 時非無茫蠡」(天勾践を 空しゅうする莫れ 時に茫蠡 無きにしも非ず)
児島高徳は、後醍醐天皇宿泊の院庄の館に忍び込んで、このように読む十文字の詩を桜の木をけずって書きました。
これはその昔、中国で茫蠡と言う家来が、敵にほろぼされかけた勾践という王を大変な苦労のすえ助け、国を再興させたという物語を例にして、こういう忠義な家来もいないわけではありませんよと、天皇を励ましたものです。中国の古典に詳しかった天皇は、これを見てほほえまれたといいます。
明治に新劇を始めた川上音二郎らによって、これが芝居として演じられて評判となり、院庄と高徳の名前は、広く全国に知られるようになりました。戦前には、高徳は楠正成と同じ忠義なさむらいとして、教科書にもとりあげられ、文部省唱歌にもなりました。
2021年1月2日の「美作国一宮中山神社」です。
文武天皇美作の一宮である中山神社は慶雲4年の創祀。貞観6年官社に列し、延喜式では美作国唯一の名神大社で此の国の一宮とされ、永保元年には正一位の神階を授かる。平安時代の「今昔物語」には当社の猿神伝説があり、鎌倉時代の後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」では関西に於ける大社として安芸の厳島、備中の吉備津と共に肩を並べている。本殿は単層入母屋造妻入・桧皮葺で大正3年に国の重要文化財に指定。