取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「」で検索した結果,1697件の記事が見つかりました。

塞の神(野村)

sainokmai1.jpg

2014年10月8日に津山老人福祉センターに集合して、「平成26年度 津山歴史講座 第7回(現地見学)大庄屋巡り―美作東部(加茂川流域)―美作の歴史を知る会 宮澤靖彦・多胡益治」があり参加して来ました。最初に野村の保田家に伺う為細い道路に入る手前に塞の神様が祀られていました。
塞の神
 塞の神は、「才の神」ともかく。もと境の神である。村の境や峠等に祀り、外部から侵入する悪霊を防ぐのが目的だった。
 この塞神三注は一般のそれと異なり、排仏毀釈の運動と関連がある。時代の動きに敏感で、国学に造詣の深い保田定静氏は地蔵を移し塞神を祀った。 塞神三注とは、久那斗神、まる岐神、道の神をいう

塞の神(野村)の続きを読む

虚空蔵山 求聞持の寺(東田辺)

2-21gumon2.jpg

虚空蔵山 求聞持の寺(高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場 第74番)
 萬福寺に如意宝珠をお奉りする融通堂があったとのいい伝えがありました。由来は萬福寺と同じです。
 平安時代後期の経塚と如意宝珠を護持するために、實仁和尚が昭和五年融通堂を再建され、昭和五十八年四月二十一日に本四国八十八ヶ所霊場を勧請すると共に、求聞持の寺として新寺建立されました。

虚空蔵山 求聞持の寺(東田辺)の続きを読む

美作東部―大庄屋巡り「光井弥太郎尚常」(河面)

mitsui-1.jpg

光井弥太郎尚常(河面村)
 河面村は勝北郡に属し、北は近長村、南は福井村である。正保郷帳では田方五百三十三石余・畑方三十四石余。森藩断絶後、元禄十一年から幕府領となり、寛政六年から文化十四年迄は播磨国龍野藩預地、文政元年以降は再び津山藩領となる。現在は津山市河面である。勝北は美作国北東部にあって中世末には勝田郡と称していた。慶長五年小早川秀秋が入封して美作七郡を十二郡に再編したとき勝南・勝北に分けたとと云わる。郡境が明確にされたのは慶長検地によってであろうと云われる。元禄十一年以降は勝南・勝北郡として定着し、明治三十三年に合併して勝田郡となって郡名が消えた。

美作東部―大庄屋巡り「光井弥太郎尚常」(河面)の続きを読む

美作東部―大庄屋巡り「保田市郎右衛門」(野村)

kozue22.jpg

保田市郎右衛門(野村)
 野村は東南条郡に属し、東端を加茂川が流れ勝北郡近長村へ続く。東作誌によると慶長以前美作国七郡の時は北の草加部村を山形と称し野村を里方と呼んだ。慶長年中に郡を分けて東北条郡草加部村と東南条部野村に改称している。正保郷帳では田方二百九十一石余、畑方三十四石余である。森家断絶後も津山藩領として続く。  

美作東部―大庄屋巡り「保田市郎右衛門」(野村)の続きを読む

8月の早朝お散歩

odanaka8-6.jpg

2018年8月18日の小田中散歩で出逢ったお野菜たちです。
今年の夏は異様に暑くて8月に入ってからも36度は当たり前でしたが、お盆前後から朝晩が急に涼しくなりました。というか涼しいを通り越して寒く感じられるようになりました。朝が涼しくなったので、急な坂道も歩くとほどよい加減です。畑には季節のお野菜がすくすく育っていますが、暑さにピーマンは落下して赤くなっていました。

8月の早朝お散歩の続きを読む

仁木永祐先生顕彰碑と郷校籾山黌跡

nikieisuke-4.jpg

 幕末~明治時代の医師・教育者・地方政治家として知られる仁木永祐は、東北条郡下津川村(今の津山市加茂町下津川)の庄屋豊田伊兵衛の四男として一八三〇年(文政十三)二月八日に生まれた。
 一八四三年(天保十四)、津山藩儒稲垣雪洞に入門、のち永田半眉にも師事。一八四六年(弘化三)、津山藩医村山春庵に入門し漢方と外科を修める。一八四八年(嘉永元)、東南条郡籾山村(今の津山市籾保)の医師仁木隆助の長女「たけ」と結婚、同年江戸に遊学し昌谷精渓に漢学を、また津山藩医(江戸詰)箕作阮甫や宇田川興斎に蘭学を学んだ。
 一八五〇年(嘉永三)、妻「たけ」が男子出生後母子共に没したため、翌年、分家仁木梅太郎の二女「佳津」を娶り、隆助の養子となり家業を継ぐ。医業を助けるかたわら、津山藩儒大村桐陽(斐夫)に入門、またペリーが浦賀に来航した一八五三年(嘉永六)には上坂して、後藤松陰のもとで漢学を修めた。

仁木永祐先生顕彰碑と郷校籾山黌跡の続きを読む

虎さんと狐『山西の民話』

tora.jpg

虎さんはつりずきの人でした。
或る秋の夕方から大川へ鯰(なまず)をつりに出かけました。
今夜はとてもマンがよく五匹もつれました。もう12時近かったので、きりあげて帰りかけました。
ビクの中で鯰(なまず)もはねていたのをおぼえています。
鹿の子の道を回って、明るい十六日のお月様がでていました。

虎さんと狐『山西の民話』の続きを読む