グラスハウス附近冬散歩
2016年1月31日グラスハウス周辺をお散歩してきました。そこで、中睦ましいシルエットにほっこり!
それに、冬だというのにトリムの森では子ども連れで賑わっていました。子どもは風の子、年配者はお散歩。広いグリーンヒルズ津山を散歩すると丁度アップダウンもありで運動不足な方にはおススメです。(前回の取材はこちら)
2016年1月31日グラスハウス周辺をお散歩してきました。そこで、中睦ましいシルエットにほっこり!
それに、冬だというのにトリムの森では子ども連れで賑わっていました。子どもは風の子、年配者はお散歩。広いグリーンヒルズ津山を散歩すると丁度アップダウンもありで運動不足な方にはおススメです。(前回の取材はこちら)
2016年2月17日(水)~21日(日)までアルネ津山4階文化展示ホールに於いて「第36回 津山市医師会美術展」が開かれました。目をみはる写真や絵画、手の込んだちりめん細工、鮮やかな色のブリザーブドフラワー、ステンドグラス等々を拝見してきました。
津山市河辺の清水さん宅に昔からあった日常生活用品、農作業用具や新たに収集した古民具などを自宅の納屋の一室を整備し「昔のくらしあれこれ館」として、平成23年11月から展示している。
展示室は、自宅とともに希望者には開放している。
津山市立河辺小学校の3年生が毎年、社会科の校外学習で見学に訪れており、当主の清水さんは、展示をしている物の説明をしている。子どもたちは、各々の展示品に興味を示し、昔の五右衛門風呂の説明で薪を燃やし風呂をわかしていたことや煙突があったこと。また、庭先にある井戸の話をすると、めずらしそうに井戸をのぞき込み「どうなっているの水がきれい、どうして汲むの」とたずねる者もおり、煙突や井戸も知らない子どもたちが多くいることに時代の流れを感じると話していた。(文:河辺の歴史を考える会発行の河辺のむかしと今より)(2016年2月19日撮影)
2015年12月6日(日)津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐり「森長継の生母 渓花院ゆかりの史跡探訪」があり、本源寺(森家墓所)を拝見してきました。
本源寺(森家墓所)
本源寺の由緒:山号は東海山、臨済宗東海派。元は足利尊氏が創建した神戸村の萬松山安国寺。森忠政の美作入国時に小田中に移転。慶長12年(1607)忠政夫人の於岩が没すると西今町の北方に埋葬され、ここへ再び安国寺を移転し龍雲寺と改称、森家から200石の寄進を受けて菩提所となり、元和年間に山号が東海と改められた。寛永11年(1634)に京都で急逝した忠政は大徳寺三玄院に葬られたが、津山の龍雲寺にも供養墓が建立された。天和3年(1683)忠政の50回忌に当たり、法名にちなみ本源寺と改称。(矢吹正則『津山誌』参照)
2016年3月4日(金)作州民芸館のお雛さまを見に行って来ました。子どもたちが作ったお雛さまや大正時代のお雛さま、また、市松人形が賑やかに飾られています。ここ作州民芸館の建物は、大正9年に土居銀行として建立されましたが、その後、銀行の合同により昭和5年に中国銀行へと変遷(へんせん)しました。その後、平成4年に津山市が取得し、作州民芸館として活用しています。登録有形文化財(建造物)です。
2016年3月4日(土)城東伝統的建造物群保存地区にある 『ナチュラルカフェ&ギャラリー和蘭堂』で観光案内所でもあります。店内に入ると津山で作られたお土産や市内の観光情報が沢山置いてあります。2016年3月2日(水)~3月7日(月)までクリスマスローズ展が催されています。美味しいコーヒーを頂きながら楽しんでくださいね!
城東むかし町家(旧梶村邸)は江戸後期から昭和初期にかけての城東地区を代表する屋敷として大切に保存されているお屋敷です。毎年、お雛まつりの季節になると行って見たいところの一つです。今年も全国土雛展があり行って来ました。3月2日(水)~4月3日(日)まであります。[9:00~16:30火曜日は休館日] また、江戸時代の商家跡、梶村邸広間に七段飾りのお雛さまが飾られています。是非、ご覧ください。おススメです。(撮影2016年3月4日)2016年のスケジュール
ソシオ一番街でおかみさんの雛まつりがあり、早速行って来ました。(3月2日(水)~6日(日) 10:00-16:00)入り口に入るとずらりと並んだお雛様、それにつるし飾りがお出迎えしてくれました。なんといっても森本家、玉置家のお雛様は優雅で見る価値あり!また、着物で来るとぜんざいのおもてなしがあるそうです。それに最後の日には箏と尺八の演奏もあるそうですよ~。是非、行って見てくださいね。(2016年3月4日取材)
西寺町・渓花院跡(新高倉稲荷神社境内とその南東)
寺院としての渓花院の由緒:臨済宗東海派。
渓花院の没後、元和初年に夫の関成次が亡き妻の菩提を弔うため、天倫を開祖として墓所の側に堂宇を建立。承応元年(1652)大名の待遇を得た次男の関長政により装飾が加えられ、長男で藩主の長継からは10人扶持を寄進。隠元が「渓花院」の3文字を大書した銅製の扁額もあったという。森家改易で関家が新見に移ると衰退し、無住となる。明治17年(1884)の時点で、境内は東西17間(約30m)・南北14間半(約20m)。明治末期に今の倉敷市連島辺りに移転したらしく、弥勒菩薩を本尊として本堂・庫裏・土蔵など630坪の境域と信徒300人を有し、岡山の国清水の末寺として亀島に渓花院という臨済宗妙心寺派の寺院が存在したとの記録があるが、その後に廃絶した模様で、その詳細は不明である。(矢吹正則『津山誌』・本源寺萬愚誌「森関宗廟由来記」・『浅口郡誌』参照)(2015年12月6日津山郷土博物館第107回文化財めぐり)
雛あそびは平安朝時代(781-1185)貴族の家庭に行われた女児の遊びがその始まりといわれる。雛人形の起原は中国であるが、その思想は祓具として諸悪災害よけとして使用されたのであり、鳥取地方の流し雛はこのなごりである。
江戸時代初期の雛あそびは、畳の上に毛せんを敷き、人形をならべ、いろいろな調度品をその前に置いた。江戸中期(享保-寛政1716-1800)以後になると壇をもうけて飾り、最上段に屏風または紫裳殿になぞらえた御殿をしつらえるようになった。(2016年3月1日撮影)(2011年3月9日の様子) 2016年のスケジュール