飯綱神社(高野押入)
飯綱神社(津山市高野押入)
『美作國神社資料』には、「苫田郡高野村大字押入字下押入 村社 飯綱神社 祭神 倉稲魂命 祭日 例祭 十月二十日 社殿 本殿 神楽殿 氏子戸数 六拾戸 境内神社 尾鼻神社 祭神 高龗神命 由緒沿革不詳」とあります。
飯綱神社(津山市高野押入)
『美作國神社資料』には、「苫田郡高野村大字押入字下押入 村社 飯綱神社 祭神 倉稲魂命 祭日 例祭 十月二十日 社殿 本殿 神楽殿 氏子戸数 六拾戸 境内神社 尾鼻神社 祭神 高龗神命 由緒沿革不詳」とあります。
近長代官屋敷跡(近長)
堀坂村や田熊村を含む吉野・勝北2郡のうちの1万9千石は、1747(延享4)年から常陸国土浦藩(現在の茨城県土浦市)の藩主・土屋家の領地となりました。
最初は吉野郡下町村(現在の美作市大原町)に役所が置かれましたが、1790(寛政2)年、吉野郡1万石が没収され、近長へ陣屋を移しました。
その後、廃藩置県が行われるまで、120年以上にわたって土屋氏によって治められており、村民との関わりも、他の飛び地と比べて深かったとされています。(文:津山洋学資料館友の会 第26回史跡見学会津山に残る和算家の足跡を訪ねてより)2014年10月8日取材
「北 順佑全国プロデビュー3周年記念ピアノリサイタルin Japan」が、2015年1月18日(日)津山市大田にあるモンレーヴで行われました。(賛助出演:津山市在住の笑顔のダウン症ピアニスト 川嶋 絢さん)
これは、面白い話があり、小生が20年前に来た時に汚い、3畳ぐらいのところで、お婆さんが1人で、このチョコレートを作っていて、たまたまカミサンがその近くをうろうろしていて、幾つか食ったら、美味しかったのでそれ以来、近くに行ったら買っていました。
お婆さんは、ビジネスマインドがあり、シアトルの高級ブランドとして育て、オバマさんがシアトルに来た時、このチョコがめっそう気に入って、今では、ホワイトハウスに来た来賓の手土産として出されるようになり、一躍アメリカで有名になり、今大きな工場まで立てました。
2015年1月6日(火)~2015年1月8日(木)「作州絣保存会」作品展が津山市新魚町のアルネ・津山4階市立文化展示ホールであり、最終日の1月8日取材してきました。
作州(美作國)にて織られていた手織り作州絣を、この地に伝えてゆきたいという思いから、平成24年に「織り人養成講座」を開講して3年を迎えた保存会の皆さんが、初めての作品展を開催されました。
2015年2月1日のイナバ化粧品店内です。もう、2月になってしまいました。
昔のことわざに、 「1月は行く、2月は逃げる、3 月は去る」と申しますが、本当に月日の経つのは早いものですね。いつも元気はつらつイナバママと「はい!ビーズ!」
上記写真は、広島市北部を襲った大規模な土石流の被災農家からいただいた稲を細かく粉砕し、ホームセンターで購入した「まさ土」に混ぜてつくった「可部のおにぎり」です。
奈義町町制施行60周年記念/奈義町現代美術館開館20周年記念
「太田三郎 2010-2014」が、2014年11月22日(土)〜12月23日(日)まで奈義町現代美術館ギャラリーにて開催されました。
小野のお通
江戸時代のはじめのころのことです。
高野押入村に、女の子が生まれました。名をお通といいました。小野は、母方の姓です。
お通は5才で、和歌をよみました。10才になると、布を織ることをおぼえ、12才で、むずかしい漢学の本がよめるようになりました。
そのうえ、とても美しい娘だったので、美作の国中で評判になりました。
16才になったときうわさを聞いた都のお金持ちが、およめにほしいともうしこみました。お通は気がすすまないようすでしたが、およめにいくことがきまりました。
高野田んぼのまん中に、一本の大きなアカメヤナギが立っていました。この木は、遠くからでもながめることができ、古くから人々にしたしまれている名木でした。(2014年伐採)
この木の根元には、才の神さまがまつられています。才の神は、村人を悪魔や病気などのわざわいから守ってくれる神さまです。おそろしい伝染病などをふせいでもらえると信じられていました。才の神は、まった、旅の安全を守ってくれる神さまでもありました。
源四橋
因幡往来が、下押入の古川をまたぐところに、源四橋がかかっています。この橋には、人の名前がつけられています。
江戸時代のおわりごろ、野村に、保田源四郎という人がいました。そうとうなお金持ちだったのですが、子どもができなかったそうです。
源四郎さんは、のちのちまで人々のやくにたつことをしておきたいと考えました。そこで、旅人の安全を考えて、下押入から野村までの因幡往来に、七つの石の橋を自分のお金でかけたといわれています。