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「第3回 つやま綱引き大会」開催!

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 2020年1月13日(月・祝)10:00~16:00 於 津山総合体育館
 津山商工会議所青年部主催のつやま綱引き大会は、平成29年度から始まり、本年度で第3回目の開催となるそうです。
 地域間交流の活性化と、新たなる家庭間の繋がりを増やせる催し物として企画。市内在住の小学3年生~6年生を対象に始まったこの大会ですが、前回大会から新たに「大人の部」をもうけ年々参加者も増えて、本年度は出場チーム数「小学生の部10チーム」「大人の部16チーム」となりました。小学生は8人で、大人は5人で1チームを組みます。予選リーグは1本勝負、決勝は3本で対決しました。
小学生の部:福岡道場(2連覇)、 大人の部 :まっつんチーム(初出場初優勝)。

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八出天満宮で合格祈願祭がありました。

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 2020年1月13日、八出天満宮で合格祈願祭がありました。この日は青空の元朝早くから車で駆け付けた多くの受験生親子が訪れていました。受付をすますと順次拝殿に入り、吉田宮司からお札を受け取っていました。これから寒くなってきますので、体調に気を付けて受験に臨んでくださいね。どうぞご利益がありますように!
また、一日前の12日には境内でとんど焼きがあり、氏子の皆さんが家内安全を祈願しました。

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新春タカラ大カーニバル2020

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 2020年1月12日・13日と第3回新春タカラ大カーニバル2020」ヘお邪魔してきました。
会場では子ども連れのご家族や、お友達と連れ立ってこられた大勢の方々で賑わっていました。ステージではピエロのルーシーさんのバルーンステージ、宮坂流の踊り、せり市など賑やかにステージイベントが。また、二階ではモンスター水族館が子ども達に人気でした。年恒例のチャリティーうどんorぜんざいのコーナーには長蛇の列ができていました。(2017年の取材の様子

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2020八出天満宮の「とんど祭」

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 2020年1月12日(日) 13:00 〜 14:00 八出天満宮の宮総代さんから案内を戴き、とんど焼きの行事を取材してきました。「とんど焼き」は、正月の松飾り・しめなわ・書き初めなどを各家から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。(2016年八出天満宮のとんど焼きの様子です。
 八出天満宮は菅原道真公が御祭神。古来この地に残る言い伝えによると、「天安元年(857年)美作の国司として赴任しておられた父是善が、この地に流行っていた疫病に罹り、父の病を心配した若き日の道真公(吉祥丸)が、遠く京都から見舞いに来られた全国の天満宮の中でも稀な縁起と最古に位置する起源を持つ由緒あるお宮である。

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津山弥生の里文化財センター企画展『お正月』です。

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 2020年1月9日に津山市沼にある津山弥生の里文化財センター 企画展『お正月』があり(2019年12月17日~2020年1月19日)2階の展示室にお邪魔してきました。津山弥生の里文化財センター内に収蔵されている品物の中から、お正月をテーマに、きらびやかな羽子板や着物など、おめでたく、彩り豊かな品を中心に集めて展示されています。(過去の取材)(2019年3月8日撮影

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美作の大庄屋巡り「木村家」

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木村家 木村治右衛門 勝南郡勝間田村 森藩~甲府領 完宿藩
大庄屋まで
 木村氏の出自は諸説ある。その一つは毛利氏の家臣龍門帯刀が帰農し、その子孫与左右衛門が木村を称したといわれるものである。
大庄屋として
 森藩の助成で、河原の多い勝間田の低地の大規模な開田工事が行われたとき、下山和十郎、木村治右衛門は、現在の新町、当時中河原と呼ばれた荒地を開発し、新田、井堰を造成した。その功績によって下山家は津山藩の本陣に、木村治右衛門は大庄屋に任命され、木村家は勝山藩、松江藩の本陣、脇本陣を勤めた。

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坪井本陣跡(今井醤油店)

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 作陽誌に「駅中(坪井宿)に太守茶屋あり」と記載されている。「太守」とは松江藩ではないかと思われる。
 新家家系図によると、新家源蔵のとき「雲州松江城主 松平出羽守より、坪井駅中(坪井宿)「脇本陣」を仰せ付けられ、兼ねて御用達御定宿を命じ、年給金百余両の金を給う。」とある。この時「菊屋」と称す。
 新家利右衛門の時「松平出羽守より改めて御本陣を仰せ付けられ苗字帯刀を給る。金子の外に千足を下し給う。」本陣を命じられたのは明和3年(1766)の頃と思われる。

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出雲街道 坪井宿

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坪井宿(別名「麦飯町」とも呼ぶ)
 坪井の町は、津山から西へ3里(12㎞)北は国道181号線、南は七森川に挟まれた静かな町で、今も昔をしのぶ家並みが残っています。
◎坪井宿場の成り立ち
 中世から戦乱により、天正7年(1579)河本城(構の城)が落城、続いて岩屋城も天正18年(1590)野火により廃城となり多くの武将・家臣団の帰農が始まり付近に居を構えた。これが集落の始まりではないかと言われている。集落は、久米川沿いの山根市場、後坪井、薬師堂一帯に作られたという。(故安藤貞郎氏が成人大学で受講記録より)
 また、元亀元年(1570)・承応3年(1654)・延宝元年(1673)・延宝8年(1680)・元禄15年(1702)・放映4年(1707)と美作地方に、暴風雨・大洪水が6回あったと記録されており、久米川も大洪水となり、山根市場、後坪井、薬師堂一帯が流失、その後住民は現在の坪井に移住したと伝えられている。

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東田辺のお正月行事

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 2020年1月元旦午前8時、東田辺地区のお正月行事に伺ってきました。「黒澤山 萬福寺」で初日の出を迎えた後、元旦に町内15軒の方々が集まって、君が代をうたいながら、国旗掲揚をした後、東に向かって万歳三唱をするという昔ながらの行事が黙々と繋がってきているのです。町内の古老に聞くと、70数年以上たっているとのことでした。お正月に各家を訪問しながら挨拶するよりは、元旦にみんなで集まって挨拶したらということで始まったらしい。仲良し部落の行事をこれからも是非続けていって欲しいと願いました。

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2019ー2020年 小田中笠松のカウントダウン花火

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2019年の大晦日、津山市小田中笠松で新年を花火で迎えるカウントダウンイベントが行われました。
 このカウントダウンイベントは、城西地区の青壮年が毎年行う行事です。多くの町内会の皆さんをはじめ、車で駆けつけてこられた方々、谷口津山市長、国会議員さんや県議、市議さんたちもお見えになっていました。それに、紅白歌合戦を観ながらいただく振る舞いは超豪華で美味しいのです。なんといっても新年を迎えるカウントダウン花火は、連発して打ち上げられとても奇麗で会場内には歓声が上がっていました。

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