田熊 南北朝動乱時代の山城 下木の岩黒城址
▲田熊(たのくま)南北朝動乱時代の山城 下木(したぎ)の岩黒城址(いわくろじょうし)
広戸川を渡り、下木の集落から東の山手に上ると、高い所に公会堂がある。この公会堂の上の平坦な丘陵地が、岩黒城址(いわくろじょうし)と言われている。
今は、全く畠となっているが、ここからは、田熊や野田(勝北)の水田地帯や日本原高原の景色が一望できる。一方、田熊の水田地帯から城址を眺めると、平地に突き出た山裾の丘陵を利用した山城であることがよく分かる。
岩黒城址については、美作古城史(三)に次の記述がある。
「津山市田熊(元勝田郡広野村)に岩黒城址があり。井上蔵人(いのうえくらんど)の居跡と伝えられ、東作誌には、古城 岩黒城 城主井上氏今は百姓持林となる。堀切の跡纔(さい=わずかに)見ゆ 少し切りならしたる跡ある而巳(のみ)なり 云々と載せてあり、古城麓に現存する井上氏がこの城の関係者として伝えられている。」(2012.1.9取材)