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絶滅危惧種の「サカツラガン」が津山に来たよ!

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2013年1月5日の吉井川に架かる城見橋の右岸側の河川敷で、「体長60cmを超える大きな鳥、羽を広げると1m50cm位になるだろう珍しい鳥が群れていたので撮影しました。とても人なつこくて2m位まで近づいても逃げなかった。」そうです。(情報下さったのは津山市小姓町にお住まいの小川宏さん)
 詳しいことが解らないので、自然と人間をテーマに、社会的視点にたった「自然界の報道写真家」として活動中の宮崎 学さんにお問合せをしましたら、
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「サカツラガン」です。
日本には昔から渡ってきたようですが、数は少なく、近年は非常に珍しいガンになっています。今冬は、20数羽で飛来したというようなことがネット情報に流れていました。
 動物園などでみられる「ガチョウ」ですが、あれはこのサカツラガンを家禽化したものです。サカツラガンは美味しいので、世界的にかなり乱獲が進んでいるようです。
絶対的に数が少ないので、日本にやってくるのも稀になってしまったようです。
いずれにしましても、幸運な出会いをしたと思います。
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小田中笠松のカウントダウン花火(年忘れ花火大会)

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2012年の大晦日~2013年の年明け、毎年恒例となった津山市小田中の「年忘れ花火大会」が、 今年で20周年を迎え、盛大に打ち上げられました。 お餅つきをしたり、そば、やきいも、お雑煮他いただき、帰るころはお腹一杯でした。冬の花火もいいものですね。お世話くださった各町内会の皆さまありがとうございました。

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法然上人が修行した 高貴山 菩提寺

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菩提寺略縁起
 当山は、お念仏「南無阿弥陀仏」の元祖で、浄土宗を開宗されました「圓光大師法然上人」が、初めて仏教を学ばれた聖域にして、浄土宗史蹟であります。
 その草創は、持統天皇(41代)朱鳥6年(692)役の小角神変大菩薩が名木の神山(那岐山)に霊地を求め、この地に修験道場を開き、後に天平年中、聖武天皇(45代)の勅願によって行基菩薩が自ら十一面観音像を刻んで中堂に安置し、「元明天皇(43代)の菩提寺」として再興開基し、七堂伽藍三十六僧坊を建てめぐらし、四宗兼学の学問道場として各地から学僧が蝟集し、その興隆数百年に及んだ。
 その間"法相""天台""浄土""真言"と各宗変遷をたどり多くの名僧を輩出したが、殊に法然上人(幼名勢至丸)9才(1141)から13才まで、父漆間時国公の遺言によって、母方の叔父、勧学得業上人のもとで学問を始められた史実は、勅修「法然上人行状絵図」(四十八巻伝)に伝えられる処です。
 往古の伽藍の様相を、僅かに残る中古の記録によると、'本堂九間四面""観音堂五間四面""鎮守堂四間四面""不動堂二間六面""鐘堂二間四面""通堂九間"等々記されており、広大な規模を彷佛とさせられるものがあります。
 数百年の繁栄も、この地が険要であったが為、地方豪族の拠点として菩提寺城等の城砦を築き、戦国乱世に頻りに災禍を受けてついに天文2年、尼子義久の焼打によって、悉く灰燼となって以来衰微の一途を辿り、江戸末期僅かに残る草庵も焼失し、無檀、無禄につき復興のめどなしとして、一旦は廃寺となったが、法然上人遺蹟地の故、明治十年寺名再興浄土宗復宗の官許を得て作因両州近郷近在の檀越、信徒共々信心を凝して本堂再興(明治十三年)、以来現在に及んでいる。
1、本尊:十一面観世音菩薩 座像、嵯峨大覚寺から文久元年招来。
2、阿弥陀如来:芝増上寺から蔓延元年招来
3、勢至丸像:勢至丸様(法然上人幼名)の霊像で、阿弥陀如来と共に奉納された唯御一体の圓光大師少年姿、冷泉為恭の作。
4、守護神:摩利支天王を勤請し、境内の守護神として巌上に御鎮座
5、観覚塚:勢至丸様初学の師、観覚得業上人の御墓、熊谷蓮生(直実)の建立と言われる、石塔は近年の建替え。
6、大公孫樹:勢至丸様9才入山の際携えた、いちょうの杖を「我、未来に弘めんとする法門盛んならば、必ず繁生せん」と本尊に誓って挿し木したと伝えられている。
果たして念仏の興隆と共に繁茂し、目通り13m余高さ40m余の巨樹となり、昭和3年国の天然記念物に指定された。
資料提供:高貴山 菩提寺(2012年11月14日取材)

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津山名産の「初雪」

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 津山名産の「初雪」は、淡い甘味のあるかきもちで、火鉢を囲んでひとつひとつあぶり少しさましてから食べます。
 この「初雪」は、後醍醐天皇が、北条高時によって隠岐に流される途中に、津山の院庄で一夜を過ごされたとき里人が献上したという伝承があります。
 また、旧津山藩主松平家の資料の中から購入代金の領収書が見つかっています。
この領収書は明治17年に墓参りのため津山に来た松平確堂が、東京に帰ってから津山土産として配るために購入した時のものだということです。
 この「初雪」がお土産に選ばれた理由は、長期間保存が出来ること、軽いことだそうです。これらから、昔から初雪を贈答品として使う習慣があったのかもしれないということでした。
 明治の初めまでは数十件のお店が初雪を作っていましたが、大正初期には16軒、今では武田待喜堂1軒のみとなっています。伝統を守り続けると言うことは大変なご苦労があると思います。津山名産の「初雪」をこれからも守り続けてくださいね。(2012年6月18日取材)

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法然上人 生誕の地 誕生寺(久米南町)

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誕生寺由来 (2012年11月18日取材)

 誕生寺は、浄土宗他力念仏門の開祖、法然上人降誕の聖地、建久四年(1193)法力房蓮生(熊谷直実)が、師法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたもの、すなわち誕生寺である本堂須弥壇の位置は上人誕生の室のあった所。
 爾来九百年の星霜を経て法灯絶えることなく全浄土教徒の魂の故郷と敬仰されている法然上人(圓光大師)二十五霊場の第一番。
 境内には、誕生椋、片目川、産湯の井戸など、永き歴史を物語るものがある。(資料提供:美作之国 誕生寺)

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田熊 文化財を誇る八幡宮【和算の算額】

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 田熊の八幡宮は、国指定の重要民俗資料として、回り舞台があり、市指定文化財として和算の算額があることで、文化財の名をなしている。
拝殿には、回り舞台についての国(文部省)による文化財指定の額とともに、算額に対する津山市の文化財指定の額が掲げられている。
 江戸時代には、関孝和等によって、日本独自の算数・数式の学問、すなわち和算が発達した。算額は、和算独特の計算法によって難解な数学的・幾何学的な問題を解明した場合、その喜びを神に感謝して、問題と解答を明記した額を作り、神社に奉納したものである。こうした献額は、江戸時代中期から明治の半ばころまで全国的に流行したようで、今も全国各地の神社に残されている。
 もっとも、岡山県下では、井原市の岸加四郎氏の「岡山県と和算」の研究によると、算額が各地に残されているとは言っても、現存は約20ほどだそうである。(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦 編著より)2012.1.10

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城西テント村「野菜と魚の市」2012.12.16

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2012年12月16日(日)午前8時半~城西テント村「野菜と魚の市」が西今町の作州民芸館裏庭で開かれました。当日は町内外のお客様が大勢お越しになっていました。また、作州民芸館の中では手作りパンやコーヒー、紅茶、レトロなお菓子などの販売もありで久しぶりに城西界隈を楽しんできましたよ。(主催はつやま城西ほりおこし隊)

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大町の集会場の中には、お大師様、お薬師様が祀られています。

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 田熊分広戸川の東側山手に、下木(北)と大町(南)の集落がある。それぞれ集会所があるが、この中に下木ではお大師様が、大町ではお大師様、お薬師様が祀られている。大町の場合、阿弥陀様があった場所へ集会所を建てており、いわば仏様がもともとの本家であった。(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)
2012年9月9日(日)取材

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2012年11月10日スローライフ列車の旅(美作河井駅)

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秋のススキが美しい美作河井駅にて2012年11月10日・11日 恒例のスローライフ列車の旅が執り行われました。この日は小雨が降って撮影日和とまでは行きませんでしたが、それでも2日間で約300名のお客様で大盛況でした。地元市民による「手打ち深山そば」をはじめ、今年はなんとだんじりまで出ていて美作河井駅は賑わっていました。(取材2012年11月10日)2011年特集2007年特集2008年特集2010年特集

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