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長雲寺

 医王山 薬師院 長雲寺縁起
 往古、聖武天皇の御代に、行基菩薩の建立されし東漸寺(当時の東百メートルに地名が残る)は尼子・毛利の争いのため灰燼に来す。その跡地に残りし薬師如来像を運びて薬師堂を建立す。
 寛永元年(1624)備中の僧西乗院この地に来りて1寺を構え、いくばくもなくして帰る。同3年(1626)僧円寿、住職し、医王山長雲寺と号す。明暦 3年(1656)津山城主森長継公の女が眼病にて参詣祈願し利益を得て平癒す。よりて長継公堂宇を新築寄進す。爾来、賽者多く、世人伝えて出雲一畑薬師の 分身なりという。毎月8日の本尊縁日には終日参詣者が絶えない。
・本尊/薬師如来、脇侍 日光菩薩、脇侍 月光菩薩、脇侍 十二神将。本尊薬師如来の脇侍ならびに守護神にして、本尊如来の両脇に祀る。特に十二神将は薬 師如来を信修する者を1年間1躰ずつ開扉す。

・鎮守堂/本尊摩利支天。南岸の石山寺の摩利支天と対峙し、武運の守護神として尊崇さる。寛政11年(1761)に逝去されし武人、東常直も当山鎮守堂の施主なり。(当時の位牌有り) 別尊、三鬼大権現。養蚕の神として尊崇さる。
・石仏三十三観音/参道の両脇に祠られおりしを、大正年間、本堂裏に移し祠る。お堂巡りをし巡拝すれば、西国三十三ヶ所の巡拝すると同じ功徳を得るといわる。
・石仏/腰折れ地蔵(石段下の堂に祀る)いつの頃よりか、腰を病む者に御利益ありと詣ず者多し。地蔵に詣でし後、地蔵の腰紐を借り、御利益を受くれば、新 しき紐を倍にして返す。 地蔵常に新しき紐を多数諦めてござる。(2010.1.16取材)

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M&Y記念館/作家履歴と美術館の紹介

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▲有元利夫ポストカードセットより(許可済み)

有元利夫

1946年 岡山県津山市に生まれる。
1969年 東京藝術大学美術学部デザイン科に入学。
在学中に渡欧した際、イタリアのフレスコ画に強く感銘を受けフレスコ画と日本の仏画に共通点を見出し、岩絵具を用いることを決心する。
1972年 卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」10点連作が大学買い上げとなる。
卒業後、有元利夫はデザイナーとして電通に勤めるが、1976年より画業に専念。展覧会への出品を重ねる。
1978年 「花降る日」で安井賞特別賞を受賞。
1981年 「室内楽」にて第24回安井賞を受賞。
その後、有元利夫は彌生画廊を中心として数々の作品を発表し、多くの賞を受賞。
1985年2月24日肝臓癌のため逝去。若くして安井賞を受賞し画壇に華々しく迎えられたが、早逝のため、生涯に制作したタブローは400点に満たない。
主に女神を思わせる人物像をモチーフとした作品を好んだ。
岩絵具を使い、風化を意識した絵肌を持たせた静寂感のある有元の美しい作風は今も多くの人々を魅了し続けている。

有元利夫 を楽しむならば・・・ 
小川美術館
住  所 東京都千代田区三番町6-2三番町彌生館1F TEL:075-463-0007
開館時間 11:00~17:00 
休 館 日 企画展時のみの開館(常設展は開催していません)。

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M&Y記念館/いわさきちひろの履歴と美術館の紹介

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▲いわさきちひろポストカードより(許可済み)

作家履歴と美術館の紹介

★いわさきちひろ を楽しむならば・・・
ちひろ美術館・東京 
住  所 東京都練馬区下石神井4-7-2 TEL: 03-3995-0612
開館時間 10:00~17:00/休 館 日 月曜日(休日の場合はその翌日)

安曇野ちひろ美術館 
住  所 長野県北安曇郡松川村西原3358-24 TEL: 0261-62-0772
開館時間 9:00~17:00/休 館 日 第2・4水曜日(GW・8月は無休)

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いわさきちひろ、星野富弘、有元利夫、竹久夢二作品

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アート・ミュージアムグッズ&ブック展  2011年3月12日(土)~2011年5月11日(水)

棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館) 休館日:木曜日(月曜日から変更になりました)
開館3周年を記念して、美術館に行かなければ手に入らないミュージアムグッズを一同に展示、販売いたします。
あわせて作家および展示されている美術館の紹介します。今回の主な対象作家は、棟方志功、竹久夢二、有元利夫、いわさきちひろ、星野富弘、長谷川潔、堂本印象などの予定です。
ミュージアムグッズは、絵はがき、一筆箋、便箋、封筒、クリアファイル、複製画、色紙、カップ、カレンダー、書籍等です。入館料=無料(2F常設展は500円となります。) 【過去に行われためったに見れない展示】

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津山城(鶴山公園)の石垣についてその2

その1その2その3その4その5

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▲表中門(二階建ての門で、大阪城、名古屋城、江戸城を除いて一番大きな門で、登城する石段としては全国でもまれな石段の幅といわれているそうです。)

津山城の石垣は発掘調査で見つかった埋没石垣を除き、城内で観察することのできるものについては、おおむね3つの類型に分類することができます。
1、自然石あるいは自然石を打ち割っただけの石を用い、角の部分も不規則な石で構築するもの。
2、表のみ面をのみで平滑に加工した石を用い、石と石の間を小さな石(間詰め石)で詰め、角には大きさのそろった長方形の石を用いるもの。
3、表面を繋で平滑に加工し形をほぼ四角く整え、間詰め石をほとんど用いず、角の部分も長方形の石を規則正しく積み上げているもの。の3つです。これらはその石の加工の具合などから古い順に1→2→3と技術が進歩していったものと考えています。

1の特徴をもつ津山城で最古階段の石垣は城内のどの辺りになるのでしょうか?
それは本丸の東側の太鼓櫓や月見櫓が乗る石垣、本丸の入り口の切手門南側の石垣、あるいは搦手側(裏手側)になる七間廊下石垣および裏鉄門枡形内の石垣などに見ることができ、本丸およびその周辺に限られるようです。(津山城百聞録より抜粋)

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津山城下町雛めぐり(城西地区+α)

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▲土井家(田邑)のお雛様

【お雛様の由来】近江の国膳所(ぜぜ)、本多六万石の大名の姫君が、津山松平藩御家老の大熊家に嫁す時、持参した雛様で大熊家にあったものです。(作州民芸館にて)2011年3月3日(木)~6日(日)午前10時~午後5時


来てみんちゃい、歩いてみんちゃい、見てみんちゃい 津山城下町「雛めぐり」が行われました。

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美作国嵯峨山城跡

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▲2011年3月4日(金)午前6時に集合して美作国嵯峨山城跡へ行きました。(往復約40分)

正面に見えるのは津山城「鶴山城跡」です。皆さんもいかがですか?私にとって新しい発見があり、また、とっても清々しい朝となり幸せな気分で一日が過ごせました。【4月満開のつつじ】 【嵯峨山城跡とは】

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津山駅前のスポット(トレビック模型)

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▲JR津山駅前商店街の一角にある、トレビック模型(津山市横山11-28)さんの鉄道模型です。

鉄道ファンにとっては見逃せない駅前スポットです。とっても精巧につくられたフィギアなど眺めていると時間を忘れるくらいです。(6000×3500mmの大型レイアウト)
(2023年、津山城東屋敷に移転されています。)

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塩手池の礫岩(れきがん)と化石

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塩手池の礫岩と化石(2010.12.25)
塩手池周辺には幅5m長さ100mにわたり基盤となる帯黒色の礫岩層(れきがん)がみられます。この層には海生の貝化石などが多く含まれています。これは今から約2000万年前の地質時代新第3期中新世に、津山盆地が古瀬戸内海と呼ばれる海だったためです。その内海には海生の貝が生息していただけではなく、パレオパラドキシアやヒゲクジラなどが泳ぎまわっていました。現在、礫岩塊群が露出する一帯は公園として整備されています。(津山市市場161-1番地)

記念物(天然記念物)【文2008津山市教育委員会発行:津山市の文化財より】

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