「津山LOFT」がアルネ天満屋2階にオープン!
2016年6月23日に津山ロフトがアルネ天満屋2階にオープンしたので覗いてみました。思っていたより広いスペースに、文具雑貨やバラエティ雑貨、それに家庭用品やインテリア、美容・健康雑貨が沢山あって、見ているだけでも楽しい品揃えでした。また、氷削り機の「きょろちゃん」完全復刻版や、ふわとろに削れる「大人の氷かき器」、コーヒー好きにはたまらない水から抽出する「コールドブリュー」など、暑い夏を楽しく過ごせる雑貨たちがたくさんありました。
2016年6月23日に津山ロフトがアルネ天満屋2階にオープンしたので覗いてみました。思っていたより広いスペースに、文具雑貨やバラエティ雑貨、それに家庭用品やインテリア、美容・健康雑貨が沢山あって、見ているだけでも楽しい品揃えでした。また、氷削り機の「きょろちゃん」完全復刻版や、ふわとろに削れる「大人の氷かき器」、コーヒー好きにはたまらない水から抽出する「コールドブリュー」など、暑い夏を楽しく過ごせる雑貨たちがたくさんありました。
2016年6月20日に棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)で、「アトリエ・カグラタニへようこそ!」NPO法人灯心会・神楽谷作品展(2016年6月11日(土) 10:00 〜 2016年7月10日(日) 17:00)があり行って来ました。
「神楽谷さんが所属するNPO法人灯心会は、心や体に障がいのある人たちを支援するため農業活動、内職活動、創作活動などを行っています。展示室が神楽谷氏のアトリエのように楽しい空間となっていて、作品も見れば見るほどその細かさに圧倒されたり、大切に残されている子ども時代の作品に驚かされたりと見飽きません。」(紹介文:M&Y記念館)
2016年6月21日に水車を見たくて行って来ました。雨上がりの少し蒸し暑い日ですが、たんぼに植わった稲の清々しさにひとめぼれです。寛永9年(1632年)津山藩主森忠政が改修を命じたのが始まりとされていますのでおそらく、森忠政公も同じ風景を見ていたことでしょう。何百年も続いて来た風景にロマンを感じました。
(嵯峨井堰を源に、本線は小桁まで14k。二宮分2kを含めて全長16kに及びます。網の目のように張り巡らせた支線を含めればゆうにその倍はあろうかという、津山では最長の用水路です。)
2016年6月12日「みまさかノスタルジー」に乗車、2号車の指定席に座り岡山へと向かいました。(上り列車(岡山→津山)は金川~津山駅間、下り列車(津山→岡山)は弓削~岡山駅間)
津山駅では、懐かしいコカコーラの瓶の自動販売機と出会い、途中の車内では名誉車掌長が「記念乗車証」を配付したり、「オリジナル記念撮影ボード」で記念撮影や、車窓を眺めながらビュースポットの説明をしてくださいました。途中の車内放送では津山線にまつわる歴史や沿線の観光スポットなどの案内がありました。ゆっくりした旅もいいもんです。(詳しくは、「JRお出かけネット」でどうぞ)
長法寺(ちょうほうじ)初夏の風情「紫陽花」
明治6年津山城が取壊しになった時、城からアジサイの絵を描いた腰高障子を贈られたのを記念して境内に植え、現在は30種、約3000株が群生し、初夏の風情を求めて訪れる人の目を楽しませています。阿弥陀堂(説教堂)は、阿弥陀如来を本尊とし、脇侍に天台大師、伝教大師をおまつりしている。現在のお堂は弘化2年(1845年)西方にあったものを移し、阿弥陀堂兼客殿として再建す。
明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた。本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子がある。(2009年6月4日)(2010年の様子)(2015年の様子)(2016年6月9日、6月13日撮影)
第45回「高野さつき・山野草祭り」が、平成28年6月4日・5日(午前9時~午後5時)高野公民館大会議室・研修室であり行って来ました。開催は、高野公民館活動推進協議会と高野花木園芸友の会が協同して開催。会場内にはさつき約80鉢・山野草約100鉢の丹精込めた作品が展示され、地域住民や市内外の愛好家が大勢来られていました。
衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。
2016年5月30日の衆楽園の様子を見て来ました。園内にはサツキの花やスイレンの花が綺麗に咲いていました。また、この頃は園内が緑に覆われてとても綺麗です。(前回の取材)(「曲水の宴」とロバートキャンベルさん)
沼の住居跡地のサツキが綺麗に咲いていました。ここのサツキやつつじは綺麗に剪定されていて綺麗ですね。また、時間差で咲くのも通る人をいつまでも和ませてくれます。2016年4月26日・5月30日撮影
2015年9月26日(土)の立石家に於いて「観月とマンドリンの夕べ」が開かれた当時の昼間の様子です。当日夜は、今年8月に発足した「二宮の史跡と自然を 活かす会」の皆さんが地元住民に地元の良さを知ってもらい二宮地区を活性化させたいと、灯ろうで中庭に幻想的な雰囲気を作り出し大勢の方たちが楽しんでお られました。(2015年9月26日取材)
由緒 口碑によると、戦国時代に此の地の領主の荒尾志摩守が京都の伏見から、稲荷神社の御分霊を勧請したものと伝えている。勧請年代は不詳で、もと町内字朝伏に鎮座していたのを、寛文四年に現在地に遷座した。明治四十五年一月境外末社の国常立神社を合祀した。(文:岡山県神社庁HPより)
作陽誌には「守神社在二横山村一 氏神也祭祀端午重陽仲冬十二日、境内東西四十八間、南北十九間、末社有二荒神」とあります。村社(2016年3月6日撮影)