取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「」で検索した結果,2813件の記事が見つかりました。

瓢箪山古墳

2025-11-26hyotanyamakofun10.jpg

瓢箪山1号墳 ・種別:記念物(史跡)・指定年月日:昭和44年10月9日
所在地:桑下1272-3番地他 ・所有者:津山市 ・員 数:1基
 倭文(しどり)川北岸の標高160m付近の丘陵上に位置する全長35m、後円径18m、前方長17m、高さ5mを測る前方後円墳です。古墳の主軸は東西方向に向いています。後円部には乱掘孔が開口し、また前方部には稲荷社の小祠が存在しています。
 築造時期等についての判断は困難ですが、この流域を統括する首長墓のひとつと考えられています。(文:津山市教育委員会発行『津山市の文化財』より)

瓢箪山古墳の続きを読む

金竜山 天福寺(天福庵)

2025-12-13tenpukuji1.jpg

 後醍醐天皇が隠岐へご遷幸の時(1332)院庄の西、木の下に薬師如来が埋まっている事を告げたこの場所に寺を建て、この薬師如来像を本尊として安置し「金竜山天福寺」とした。
 ふくらしの木の根っこでご本尊が見つかった事から、ふくらしの「福」をとって「天福寺」に、寺の後ろの池に金色の大蛇が住んでいた事から、山号を「金竜山」としたのだろう。
 元は「金竜山天福寺」と称する寺院であったが、今は「天福庵」と称する小さな堂として残っている。(文:現地案内額より)(2025年9月20日・12月13日撮影)

金竜山 天福寺(天福庵)の続きを読む

大井野御所原公園内の「ご飯石」(新見市)

2025-11-15ooinogosyogahara6.jpg

大井野御所原公園
 元弘の変(1331)で隠岐の島に流島となった後醍醐天皇一行がその途中休息され食事をされた場所として、この地を御所原、そのとき食卓がわりに使われた岩を「ご飯石」と呼ぶようになったという。そのとき近所の老婆が差し出した「わらび」の料理をことのほか喜ばれ賞味され、そのため今でもここに生える「わらび」は「アク」がなく甘いといわれている。 後世、村人たちが天皇の遺徳をしのびこの地に宮を建てたのがこの上にある後醍醐天皇宮である。大佐町教育委員会
(文:現地案内板より転載)(2025年11月15日撮影)

大井野御所原公園内の「ご飯石」(新見市)の続きを読む

安国寺の石林園は津山市指定文化財です。

2025-11-22ankouji15.jpg

 2025年11月22日小田中の安国寺の裏庭の紅葉を撮らせていただきました。安国寺と言えばなんといっても一番は本堂裏の石林園です。この石林園は津山市指定文化財です。また、安国寺の梵鐘は岡山県指定重要文化財です。まず境内にはいるとすぐ右手に第35代内閣総理大臣平沼騏一郎の墓があります。そして本堂の裏側に回ると市指定文化財の石林園があります。境内に茶筅塚があるのを見て、十数年前まで安国寺では初釜があり、近隣からも多くのお茶の愛好家が集まっていたことを覚えています。

安国寺の石林園は津山市指定文化財です。の続きを読む

「自然賛歌 美しきバルビゾン派の世界展」2025

2025-10-13yamada.jpg

「自然賛歌 美しきバルビゾン派の世界展」が、山田養蜂場ギャラリー(岡山県苫田郡鏡野町)で、2025年10月3日(金)~2025年11月9日(日)まで、期間限定・完全予約制で特別公開されました。
 山田養蜂場ギャラリーは、期間限定ですが今までミレーやルソー、クールベ、モネ、ルノワールといった巨匠たちの名画を中心に約300点が公開されてきました。今回は、ジャン=バティスト=カミーユ・コローの油彩《霧の朝》が初公開されたほか、19世紀フランス版画作品約200点も新たに公開されました。年々行くたびにギャリーも増えているように感じました。県北にこれだけの作品が一挙に拝見出来るギャラリーがあることはファンにはたまりません。(2022年10月3日取材したもの

「自然賛歌 美しきバルビゾン派の世界展」2025の続きを読む

長内のムクノ木(美作市)

2025-7-26mukunoki7.jpg

美作市指定重要文化財(天然記念物) 長内のムクノキ
 後醍醐天皇が隠岐へ流される際、ここで食事をされ、そのとき箸を立てられたものが、根を下し、生長したとの言い伝えがある。
後醍醐天皇一行の経路が南であったとする南路説の証拠の一つとなっている。
樹齢は約700年(推定)で、目通り7.3m、樹高は15m
指定年月日 平成17年3月31日 美作市教育委員会(文:現地案内パネルより)

長内のムクノ木(美作市)の続きを読む

大宮神社(美咲町百々)

2025-7-26omiya16.jpg

由緒
 本神社の創建は第43代元明天皇の御宇(708)と伝えられている。和気郷の旧社で和名抄所載神社の一つで、古くは御本殿が3間4面あったと舊記に記されている。
 慶長年間に火災に遭い、その時に仮に建てた御本殿が現在まで残っていたが老朽化が進み、平成9年から3ヶ年かけて募財を募り改築した。
 明和4年5月但州出石城主仙石越前守の祈願所となり、銀20枚の寄進があった。元弘2年(1332)3月後醍醐天皇が隠岐に流され遷幸される時、当社の境内にあたかも爛漫と咲いた桜の花をご覧になって暫しの間休憩され旅の疲れを癒され、お喜びになったと伝えられている。その時の大木が安政5年の暴風で倒れ明治39年に屋舎を建てて「大御幸桜」として保存している。
 御祭神は猿田彦大神で天孫降臨にあたり四方八方に分岐する道を守り教える神である。現代では交通安全の神としてまた、人の運命を開く神、全ての事を良き方に導く「みちびきの神」として信仰を集めている。(文:岡山県神社庁HPより転載)(2025年7月26日撮影)

大宮神社(美咲町百々)の続きを読む

神代の四季桜(真庭市)

2025-11-15shikizakura12.jpg

神代(こうじろう)の四季桜 (2025年11月15日撮影)
 後醍醐天皇の足跡の一つに、後醍醐天皇にまつわる伝説のある「神代の四季桜」があり訪ねてきました。ここは、四季桜と紅葉の名所として知られ、丁度見ごろを迎えていました。
 後醍醐天皇が隠岐に御遷幸のとき、この地でご休憩の折、馬丁の不注意で満開の桜を散らしたので
  春も咲け夏秋も咲け冬も咲け
   四季の桜と名を授けお・・
とお詠みになった。
それ以来、この桜は旧暦の四季に咲くと伝えられ、今はその何代目かの樹である。真庭市教育委員会

神代の四季桜(真庭市)の続きを読む

出雲街道 鮒越の乢(真庭市)

2025-11-15izumokaidou9.jpg

鮒越の乢(ふなこしのたわ)
由来:此の処鮒越乢は出雲街道として京に通ずる官道で重要な交通路として栄え、その昔、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が隠岐へ配流の途時、此の地へ足を運ばれたと伝へ聞く。
 東より西へ、西より東へと大小の鮒が峠を越えるような形の畑があり、土地の人々は鮒畑鮒越乢とよび、鮒越の地名が今も残る。しかし時の流れと共に昭和五十六年道路改良工事の為、西側の鮒畑は姿を消し、平成十年より岡山県が進めて来た県北流通センター工事に伴い、東側の鮒畑も今では尾鰭をわずかに目にする事が出来るのみとなった。ここにその名残りを惜しみ後世にこの地名の由来を記し此れに残す。平成十戌寅年四月吉日建之(文:現地説明碑より)(2025年11月15日撮影)

出雲街道 鮒越の乢(真庭市)の続きを読む