吉見・堀坂・綾部の景色と彼岸花
2020年10月1日に津山市吉見・堀坂・綾部の景色と彼岸花を見に行ってきました。
私の大好きな景色の一つです。なだらかな坂と、稲刈りの済んだ田んぼの中に咲く鮮やかな赤い彼岸花はとても美しく、何度でも出会いたい景色です。(2016年の彼岸花)
2020年10月1日に津山市吉見・堀坂・綾部の景色と彼岸花を見に行ってきました。
私の大好きな景色の一つです。なだらかな坂と、稲刈りの済んだ田んぼの中に咲く鮮やかな赤い彼岸花はとても美しく、何度でも出会いたい景色です。(2016年の彼岸花)
2020年10月2日津山市下野田を流れる広戸川沿いの畔に奇麗に咲いている彼岸花を見つけた。
水面に美しく映る彼岸花はとても風情があり、思わず写真を撮ってきました。ここの川沿いは桜の花も奇麗に咲く所です。また、この彼岸花の咲く場所上流の上野田には「ほたる公園」があります。
岡山県久米郡美咲町飯岡の郵便局前の閑静な田園の中に巨大な石碑があった。
それは、嘗て津山市加茂町を取材しているときに見た菊の紋章のある菊水山 公卿寺や、加茂神社にあった崇道天皇の御陵、はたまた、勝北町の王子御塚社の由来、八咫鏡発掘之地など、色々な天皇にまつわる伝説があり、ずっと気になっていたので知人に聞いたら美咲町飯岡に行ってみたらと教えてもらい訪れてみました。以下、碑文を記してみました。
三種の神器八咫鏡と美作「後南朝」秘史
植月御所の真相(昭和三十六年二月十五日 田中千秋著)
凡ソ今カラ五百十八前ノ嘉吉三年癸亥十月二十九日ヨリ元禄十年丁丑八月二日マデ、二百五十四年ノ長期間二亘ッテ美作国植月庄北村、現在ノ髙根、鳥羽野両部落ヲ中心二、後南朝正系初代髙福天皇ヨリ、九代良懐親王二到ルマデノ隠レタ天皇ノ行宮ガアッタ。此ノ様ナ厳然タル歴史的事実ガアル事ヲ考エルトキ、今マデノ日本ノ歴史デハ、後ノ南朝ハ大和ノ吉野地方デ絶滅シテイル事二ナッテイルガ、実際二後ノ南朝ガ在ッタノハ、美作ノ吉野地方デアル事ガ確信出来ル。
安黒家 安黒和助 東北条郡大篠村 松平蕃
大庄屋まで
安黒氏は、赤松氏の家臣であったといわれる。
嘉吉元年(1441)嘉吉の乱によって赤松満祐が滅んだ時、津山の林田に逃れ、安黒姓に変えたという。林田には安黒谷の地名が残っている。
大篠の屋敷跡の南にある台山城城主として尼子氏・浦上氏・毛利氏に従った後帰農した。
元文5年(1740)安黒和助が大庄屋に任命された。
大庄屋として
大庄屋としての記録がなく、不明である。安黒豪平は津山藩士広瀬家の養子になり、その子広瀬臺山は、津山藩のお抱え絵師として有名である。臺山は山水画を得意とした。
寛政のころ泰禅上人が大阪で鴻池家の子供を助ける。謝礼の小判を辞退し、石の祠を建立し、これが湯大明神であると伝承されている。(文:『出雲街道旅日記(万の峠~津山)』より)(2020年3月28日撮影)
2020年9月7日久しぶりに「津山弥生の里文化財センター」へお伺いしてきました。私の苦手な古代社会の人々の生活を女性の視点で教えていただき、何だか少し古代の人々への関心が増してきました。
☆器台から埴輪へ
弥生時代の日常の土器である壺・器台が、墳丘墓に置かれる特殊器台・特殊壺を経て、古墳に立てられる埴輪へと変化する過程を模式図で表しました。
弥生土器の壺・器台と特殊器台・特殊壺との違いは、赤く塗られていること、特殊な文様で飾られていること、そして土器のサイズであることがわかります。
それでは、特殊器台と円筒は埴輪の違いはどこにあるのでしょうか。器台と埴輪の足元に注目すると、器台の足元は大きく外側に張り出していますが、埴輪の足元には張り出しがなく、まっすぐになっています。
この違いは、設置する方法が違うために生じています。器台は地面の上に据え置くので、倒れないように足元をおおきく外側に張り出させます。一方、埴輪は地面の中に埋めて立てるので、埋めやすいように筒状のままにしています。
特殊器台から円筒埴輪へ変化する過渡期に作られた特殊器台形埴輪は、特殊な文様で飾られ、特殊器台の特徴をよく残していますが、足元をみると、張り出さずに筒状のままとなっており、地面に埋めて使われていたことがわかります。
久米町を走る出雲街道には西の端に追分の道しるべと、東の端には中須賀の石燈籠がある。此の出雲街道は、今の久米町の幹線道路とも言うべき道路であるが、此の道路から分れて、宮部川に沿う道を遡って見ることとする。
大字中北下を過ぎ、宮部下地内に入ると、中正小学校のすぐ下流、「青木橋」のたもとに「妙見宮道」という道しるべがある。
妙見宮というのは標高560mの桧ヶ仙の頂上に祀られている北辰妙見宮のことで、桧ヶ仙は、人が宮部の谷を遡る時、右側に見える山並のうち、一番高くよく目につく山で、此の山が久米町の北限かとも思われるけれども、此の山は實は苫田郡鏡野町の地内にある山であり、お宮なのである。
国道53号線の奈義町黒尾峠に架かっているループ橋を久しぶりに渡ってきました。この頃あまり通ることもなかったので、ドライブイン「チコ」が姿を消していたのも知りませんでした。津山方面から黒尾峠のトンネルを出るとすぐのところにあった、ドライブイン「チコ」は思い出多い所です。古き良き昔を忍びながら、あちこち行ってみました。(2020年8月10日・9月21日撮影)
清流と温泉の郷、鏡野町でアートにふれる。と題して2020年9月12日(土)~11月23日(月)まで2nd OKUTSU ART FESTIVALが行われています。その中のExhibition企画展で、津山市宮部上の岡田さんが、「宮部の里 岡田コレクション(コレクション公開)」と題して参加されています。岡田さんのコレクションは多岐にわたりどれも目を見張るものです。かがみの近代美術館の館長から参加しないかとお誘いを受けたのがきっかけで参加されたそうです。「コロナウイルス騒動でどうしようか迷っていたのですが、電話で予約を受けて、一度に2人位なら三密は防げるとお受けしました。」とのこと。展示品は、着物、帯、つづれ織り、油彩画、日本画、陶器、オーディオ等でどれも素晴らしいものばかりです。※お越しの際は事前にお電話をお願いします。(2020年9月20日撮影)
昭和33年7月13日、作東町天皇谷小社(右方約30メートルの山裾)より天皇家継承の印しとされる八咫鏡が同所春名義雄誌によって発掘されまいsた。
美作の東部、勝田郡植月地方には天網家正統とする御南朝の歴史があり、史実を裏付けるものとして貴重な品であるが、現品は発掘者春奈氏によって山口県の赤間神社に奉献され安献され安置されている。
一説によれば源平の興亡を極めた壇之浦の合戦において、土居・妹尾家(前方の山の持ち主)の先祖が、ひそかに持ち帰ったものとロマンに満ちた逸話もあり、よって安徳帝を祀った同社に奉献されたものが、発掘者春名氏も今は物故の人となり知るすべもない。土居地区史跡保存整備委員(文:現地看板による)(2020年9月13日撮影)