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ママの驚きの行動にビックリよ!

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 2018年5月14日、昨日の雨もすっかり止んで津山は晴天なり!
ママとサムハラ神社へ行こうと非番の藤井さんを伴って3人で出かけました。まずは山々が新緑で美しい事に感動。金刀比羅宮に参拝後、サムハラ神社に参拝「ここへ参った後、言うようになったのは有難うだわ~、お願いばかりじゃなく感謝せにぁなぁ~!」と教えてくださいました。そこまでは良かったのですが、強力な助っ人を得て気が大きくなったママはなんと金刀比羅宮のある山の頂上に登ると決断、「えらいわ~、しんどうわぁ~」と3人で励まし合いながら展望台まで辿り着く。その後、何を思ったかママは高い展望台にすたこら登って行きました。降りがけに私が手すりを持ったら「あんたぁ~、高所恐怖症なん?、私はなんともないわぁ~」と満面の笑みでした。

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多門櫓(津山城)概要

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 多門櫓は、天守台の南西側、西側、北西側を取り囲むように存在した櫓です。絵図からは、西面は長さ二十四間、幅三間の細長い平櫓で、南北端に三間×四間の二階部分が置かれていることが分かります。南面は長さ八間半、幅三間の平櫓、北面は長さ五間半、幅二間の平櫓となっており、北面の櫓は七番門に接続しています。
 整備工事では、建物の輪郭を御影石で表し、内部は自然石の樹脂舗装を施しています。また、二階建て部分と平屋部分との違いが分かるように色を変えて表示しています。(薄い灰色が二階建ての隅櫓部分)。北西の隅櫓から東へ続く櫓は、天端面を土系舗装とし、石垣内部へ雨水が入らないようにしています。
 地下には裏込めの栗石が石垣の表面から奥行き6m(約三間)もの範囲に充たされていたことが、発掘調査によって分かりました。(文:現地案内版より)(2015年4月・2017年6月・2018年4月撮影)

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グリーンヒルズ津山でお散歩

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2018年4月30日にグリーヒルズ津山へお散歩に。そよ風が時々吹いてきて、とても気持ちの良いお散歩でした。ビオラが綺麗に咲いていました。ぐるりと回って初めて発見!なんとウォターガーデンのには鯉さんがわんさかいました。

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あけぼの旅館(文化庁 登録有形文化財)

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 あけぼの旅館は、津山城下町のほぼ中央部の津山市戸川町31番地に所在する。津山城下町の建設は、津山城の築城とともに、慶長9年(1604)から初代津山藩主森忠政によって開始され、およそ寛永年間(1624~44)頃には完成したとされている。
 城下町時代の戸川町は職人町で、慶長年間末以前は「富川」、以後は「戸川」の文字が用いられている。津山城下町を東西に走る出雲街道は戸川町の1本北側の本町2丁目と3丁目の通りにあたる。
 これまで、旅館名の表記は、あけぼの楼、阿けぼの、阿希ぼ乃、曙などとされてきたが、現在は「あけぼの」に統一されている。

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日本庭園「由志園」の3万輪の牡丹の花

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2018年5月4日、日本一の牡丹苗産地で有名な大根島(島根県松江市)にある「由志園」に出かけました。4月下旬~5月上旬には3万輪の池泉牡丹が庭園内を彩ります。5月6日には一日限定で黄色の牡丹の花で埋め尽くされたそうです。
 江戸時代から続く雲州人参の産地。茶人大名として有名な松江藩七代藩主・松平治郷(不昧公)が財政を再建するため始めた高麗人参の栽培は世界の一級品として高く評価されています。

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「恋山形駅」がピンクに染まった頃。

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 2018年4月28日テレビなどのニュースで全面ピンク色の駅で話題になった「恋山形駅」に立ち寄ってきました。この駅は鳥取県八頭郡智頭町大内にある智頭急行智頭線の駅で、1994年(平成6年)12月3日に智頭線開業と同時に設置されたそうです。この日は丁度列車が来る時間帯なので、次から次へとカメラ片手にファンの方が多数来られていました。中でも熱心な親子さんがいてずっと写真を撮り続けていらっしゃいました。「恋ポスト」「恋ロード」などもありました。また、地元の皆さんが植えられた芝桜が丁度見ごろを迎えていて一層ピンク色になっていました。津山からでも40分程で行けました。

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新しく整備された京橋門

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 京橋門は、大手筋に位置する門です。堀にかけられた木橋を渡ると正面には石垣で囲まれた空間があり、右手に折れると門があります。これを桝形虎口といい、厳重な造りとしていました。現在、門や石垣は一部現存しているのみですが、絵図から、門は櫓門であったことがわかります。
 現存するのは桝形虎口西側の石垣とそれに続く土塁の一部ですが、土塁は明治の廃城以降も累々とめぐっていたことが知られ、地元の人々からは、「万里の長城」と呼ばれ親しまれていました。
 周辺は明治36年(1903)、津山高等女学校の敷地となり、この石垣上には昭和7年(1932)完成の而立館(同窓会館)が建っていました。(文:現地案内版より)(2018年4月29日撮影)

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津山・森藩・松平藩の代表的な豪商「錦屋」

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2018年3月30日の森本家とつやま自然のふしぎ館です。

 森本家は、錦屋を屋号とし、伏見町で呉服商を営む津山藩の御用商人だったそうです。先祖・森本儀太夫(永禄6年<1563>生まれ)は加藤清正の重臣で熊本城下に居住しており、その弟一族が津山藩主森忠政に召されてこの地に土着し商人となり、藩主森家・松平家に仕え、町年寄、札元などを勤め藩政の御用にあたってきた家で、9代目の藤吉さんは津山銀行頭取(明治12~42年)や町会議員を務め、町の発展に尽力されました。(呉服商の店は明治42年まで続けられていたそうです。)

 藤吉さんの子・慶三さんは、明治33年、両親に無断で内村鑑三に入門しようとするが、最初は断られ、のち、両親の許可を得た上で入門を許され、東京帝国大学農科大学に学び、内村鑑三が日曜日に自宅で開く聖書講義に毎週欠かさず出席し、その教えに共鳴し、明治34年にはキリスト教に入信。明治44、45年には内村鑑三を津山に招き、聖書講演会を開くなどキリスト教伝道に努めたそうです。

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2018年「弥生の里まつり」

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 2018年5月3日(木)~5月5日(土)・10:00-16:00くらや総本舗前駐車場・特設テントにて「鈴鹿屋・くらや恒例の弥生の里まつり」がありました。くらやさんでは、すっかりおなじみになったみたらし団子やたい焼きの実演販売、蒸したて柏餅や新登場の氷室餅とどら焼き摘み放題、鈴鹿屋さんでは陶器市や金物市など、津山みのり学園さんのクッキー、パン工房さんのパン、バンコクコーヒーさんなどなど盛りだくさんの企画でした。(2018年5月3日撮影)

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第3回牛魔王選手権が大盛況でした。

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 2018年5月3日・4日に「第3回牛魔王選手権」が「津山城つるまる広場」で開催されました。予報では津山地方の3日は雨とのことでしたが、曇りから晴れになり多くの人で賑わいました。会場では、出展者22店舗(投票対象外4店舗)が自慢の牛肉料理で味を競い合い、投票により優勝者を決定という流れでした。平成30年の第3回牛魔王は、「居酒屋上屋のネギまみれの焼きそずりポンズ」、「第2位は城下町肉処櫓の炙り牛タン寿司」、「第3位は新見食肉 千屋牛バーベキュー串」でした。
また、3日には​江戸時代の甲冑の着付け体験があり、子ども達にも大人気でしたよ。(2018年5月3日撮影)

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