2016年「勝山のお雛まつり」
町並み保存地区を中心とした勝山市街地で2016年3月2日(水)~3月6日(日)まで開かれた「勝山のお雛まつり」は訪れる人びとをわくわくさせてくれます。旧出雲街道として栄えた勝山の民家らしい風景が今年のメインビジュアルだそうです。今年はいろんなお家の中を拝見させていただき発見することが多い勝山のお雛まつりでした。まず、河川敷の駐車場があんなに広かったとは知りませんでした。(2016年3月5日撮影)
町並み保存地区を中心とした勝山市街地で2016年3月2日(水)~3月6日(日)まで開かれた「勝山のお雛まつり」は訪れる人びとをわくわくさせてくれます。旧出雲街道として栄えた勝山の民家らしい風景が今年のメインビジュアルだそうです。今年はいろんなお家の中を拝見させていただき発見することが多い勝山のお雛まつりでした。まず、河川敷の駐車場があんなに広かったとは知りませんでした。(2016年3月5日撮影)
郷土資料館の向かいの清友家に入ってみました。築200年を越える清友家は勝山町並み保存地区にあり、醤油醸造業を営んでいた家だそうです。入口には、醤油を船着き場まで運んだレールが、まだ残っていて驚きました。お家の方が大切に守って来られているのが伝わってくる清水家のお雛まつりでした。(2016年3月5日撮影)
「勝山のお雛まつり」に出かけてきました。いつも進化しているように感じる勝山の雛まつりは今年も大勢の見物客で賑わっていました。また、5日はぽかぽかの暖かい日差しだったので道行く家族連れもウキウキした感じでした。ここ御前酒蔵元如意山房でも「蔵元のお雛まつり」があり、辻家に代々伝わるお雛さまや、花嫁衣裳などの華やかな着物の数々、子どもの袴などの展示もあり見ごたえがありました。また、与謝野晶子さんをはじめ大勢の文人・墨客や作曲家の三木稔さんなどが、勝山の辻家を訪れていたそうです。 (取材2016年3月5日)
那岐山麓山の駅いろり家で展示してある「山の駅おひなまつり」に行って来ました。会場に入るとまず最初に吊るし雛が所狭しと飾ってあり華やかな感じがしました。また、山の駅スタッフによる手作り雛、町内外の工芸作家等による作品が展示してあり、色彩豊かなお雛様が勢ぞろいでした。(取材2016年3月4日)
2016年3月4日(金)作州民芸館のお雛さまを見に行って来ました。子どもたちが作ったお雛さまや大正時代のお雛さま、また、市松人形が賑やかに飾られています。ここ作州民芸館の建物は、大正9年に土居銀行として建立されましたが、その後、銀行の合同により昭和5年に中国銀行へと変遷(へんせん)しました。その後、平成4年に津山市が取得し、作州民芸館として活用しています。登録有形文化財(建造物)です。
2016年3月4日(土)城東伝統的建造物群保存地区にある 『ナチュラルカフェ&ギャラリー和蘭堂』で観光案内所でもあります。店内に入ると津山で作られたお土産や市内の観光情報が沢山置いてあります。2016年3月2日(水)~3月7日(月)までクリスマスローズ展が催されています。美味しいコーヒーを頂きながら楽しんでくださいね!
城東むかし町家(旧梶村邸)は江戸後期から昭和初期にかけての城東地区を代表する屋敷として大切に保存されているお屋敷です。毎年、お雛まつりの季節になると行って見たいところの一つです。今年も全国土雛展があり行って来ました。3月2日(水)~4月3日(日)まであります。[9:00~16:30火曜日は休館日] また、江戸時代の商家跡、梶村邸広間に七段飾りのお雛さまが飾られています。是非、ご覧ください。おススメです。(撮影2016年3月4日)2016年のスケジュール
ソシオ一番街でおかみさんの雛まつりがあり、早速行って来ました。(3月2日(水)~6日(日) 10:00-16:00)入り口に入るとずらりと並んだお雛様、それにつるし飾りがお出迎えしてくれました。なんといっても森本家、玉置家のお雛様は優雅で見る価値あり!また、着物で来るとぜんざいのおもてなしがあるそうです。それに最後の日には箏と尺八の演奏もあるそうですよ~。是非、行って見てくださいね。(2016年3月4日取材)
西寺町・渓花院跡(新高倉稲荷神社境内とその南東)
寺院としての渓花院の由緒:臨済宗東海派。
渓花院の没後、元和初年に夫の関成次が亡き妻の菩提を弔うため、天倫を開祖として墓所の側に堂宇を建立。承応元年(1652)大名の待遇を得た次男の関長政により装飾が加えられ、長男で藩主の長継からは10人扶持を寄進。隠元が「渓花院」の3文字を大書した銅製の扁額もあったという。森家改易で関家が新見に移ると衰退し、無住となる。明治17年(1884)の時点で、境内は東西17間(約30m)・南北14間半(約20m)。明治末期に今の倉敷市連島辺りに移転したらしく、弥勒菩薩を本尊として本堂・庫裏・土蔵など630坪の境域と信徒300人を有し、岡山の国清水の末寺として亀島に渓花院という臨済宗妙心寺派の寺院が存在したとの記録があるが、その後に廃絶した模様で、その詳細は不明である。(矢吹正則『津山誌』・本源寺萬愚誌「森関宗廟由来記」・『浅口郡誌』参照)(2015年12月6日津山郷土博物館第107回文化財めぐり)
雛あそびは平安朝時代(781-1185)貴族の家庭に行われた女児の遊びがその始まりといわれる。雛人形の起原は中国であるが、その思想は祓具として諸悪災害よけとして使用されたのであり、鳥取地方の流し雛はこのなごりである。
江戸時代初期の雛あそびは、畳の上に毛せんを敷き、人形をならべ、いろいろな調度品をその前に置いた。江戸中期(享保-寛政1716-1800)以後になると壇をもうけて飾り、最上段に屏風または紫裳殿になぞらえた御殿をしつらえるようになった。(2016年3月1日撮影)(2011年3月9日の様子) 2016年のスケジュール