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旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎(久米郡美咲町)

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旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎 1)交通/鉄道 2)久米郡美咲町吉ケ原432-1 3)昭和6(1931)年
 片上鉄道は、柵原鉱山の鉱石を輸送するため、大正8年(1919)年に設立されました。大正12年1月に片上-備前矢田間を延長した後、昭和6年に柵原まで開通しました。鉱山鉄道としてのみならず、地方鉄道として住民にも利用されましたが、平成3(1991)年に廃止となりました。
 吉ケ原駅は三角屋根の洋館風駅舎で、保存もよく、現在は鉱山資料館の一部として公開されています。

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鶴山 慰霊碑(美作忠魂碑)

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美作忠魂碑
 美作五郡の各寺院が、よくまとまったのは地理的にも北条県の伝統があるが、実はすでに明治末年に協力の実績を築いていた。というのは津山町所在の仏教各宗協議所なるものが、本源寺に設けられていた。明治三十八年の十一月、ここで日露戦争の戦死者のため記念碑を建てようという相談ができた。当時苫田郡長をしていた小沢泰にこれをもちかけたところ、町長をしていた矢吹金一郎に相談してやれということになり、矢吹と仏教各宗代表が基礎案をつくった。これが鶴山公園にできた美作忠魂碑の出発であった。結局津山だけのものでなく、美作一円のものにしょうと、神職や有志に呼びかけ募金に着手したのである。費用三千円計画で募金運動をはじめたが難航したようだ。しかし努力が実り、四千三百余円を集めたものの、予定より費用も高くつくので、継続して募金をしつつ、第一回招魂祭を、四十年の四月二十一日にしている。この日が後年毎春の招魂祭の日となった。

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津山郷土博物館(山下)

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耐震改修工事に伴い、平成32年4月までの予定で、現在休館中です。
津山郷土資料館 1)行政/役場・警察署 2)津山市山下92 3)昭和8(1933)年 4)津山市庁舎
 昭和4(1929)年2月の合併当初、津山市の庁舎は、明治7(1874)年に小学校の校舎として建てられた元津山町役場を使用していました。その後、新庁舎建設の気運が高まり、昭和8年7月、津山城跡の南麓に、地上3階、地下1階建ての鉄筋コンクリート造として竣工しました。

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赤穂浪士3人の初の慰霊祭「三士祭」2017.3.1

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 忠臣蔵で有名な赤穂浪士で美作国にゆかりのある、神崎与五郎則休茅野和助常成・横川勘平宗利のことを忘れてはいけないと「三士祭」(主催:津山市観光協会、協賛:お国じまん研究会、後援:津山市文化協会)が、徳守神社境内の神崎与五郎歌碑前に於いて初めて執り行われました。(撮影:2017年3月1日午前9時~10時)

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備中櫓(鶴山公園内)

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備中櫓は天守台の南東、本丸南面に突出した石垣上に立地する2階建ての櫓です。
 高さ約13メートル、幅約24メートル、奥行き約8メートルで、延べ面積は約288平方メートルです。
60を数える津山城の櫓の中でも最大級の規模を誇り、その立地などから考えて、天守に次いで重要な櫓であり、象徴性の高い建物であるといえます。
構造
 備中櫓は、木造一部2階建てで屋根は本瓦葺きの入母屋造り、外壁は軒廻りも含めて白漆喰塗りです。通常、櫓の内部は板敷きあるいは土間ですが、この備中櫓の内部は全室畳敷きという特徴を持っています。

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金刀比羅神社のモミの木(加茂町中原)

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金刀比羅宮のモミ(マツ科)(推定樹齢/300年、目通り周囲/4.3m、樹高/37m、金刀比羅神社所有)
 県道津山加茂線より東へ500m行ったところに金刀比羅神社がある。この神社は寛文年間四国の金刀比羅宮より当地日詰山に分霊安置された。本樹はこの頃より成育していたもので、当神社境内林の正面参道の石段脇にあり枝張りが懸崖をなし、樹勢は旺盛でひときわ目立つ存在である。(文:『津山地方振興局発行、津山の名木百選』より)(2017年12が月21日撮影)

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鶴山館(鶴山公園内)

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 これは津山藩の学問所(文学所)として1870年(明治3年)に着工されました。場所は京町門の内側にそれまでにあった文武けいこ場の東側(現在の津山電報電話局のところ)で、翌1871年に完成され、従来のけいこ場とあわせて「修道館」と名づけられました。この時期は同年7月に行われた廃藩置県の直前であり、明治維新のあととはいってもまだ藩内の教育については藩が統轄しているときでした。
 しかしその後、明治政府は廃藩置県を行うことによって全国に統一した行政が行える体制ができ、文部省を設けたり、1872年には学制を制定(学区制、就学奨励)したりして、近代教育制度を発展させていきました。修道館はこのような事情から完成して間もなく廃藩置県にもとづいて廃止され、のちの"鶴山館"にあたる建物は変遷する教育制度などと深くかかわりながら利用されてきました。それはだいたい次のとおりです。

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津山城・津山の城下町

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津山城
 津山城は1604年(慶長9年)に着手され、13年後の1616年(元和2年)に完成しました。
 この場所は鶴山を中心とする一帯で、藩主にとっては城下町をつくり、常備軍をひざもとにおいて不意の戦争に備え、農民に対して武士の力強さを誇示できると同時に、藩内の統治にもっとも便利な場所として選定されたものと考えられます。
 形式は丘陵とそのふもとをとりいれた平山城で、縄張(郭.堀.城壁.虎口等の配置規模を決めること)は巧妙で、また施設も堅固にできており、本丸を守るためにとてもよく考えてつくられています。
 山頂に本丸を定め、その西部か堅固な石垣で区切って、ここを天守曲輪とし、中央に五層の天守閣が設けられています。その東側と本丸を東北に向けて強く張り出させたところには特に髙い石垣を築いて櫓を点在させています。また、北側の急斜面はこれを利用して坊塁を築き、東側のがけは急な勾配で宮川に面しているので、そのまま防備に利用されています。

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亀の甲駅(美咲町)

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 亀甲駅(かめのこうえき)は、岡山県久米郡美咲町原田にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)津山線の駅である。駅近くに亀の甲羅のような岩(亀甲岩)があることから「亀甲」の名がある。
津山駅管理の簡易委託駅で、早朝・深夜を除いて出札窓口の営業がある。以前は携帯車発機により乗車券を発券していたが、現在はPOS端末による発券をしている。
亀をモチーフにした外観の駅舎が特徴的である。駅舎の屋根の上は、亀の頭の形をした時計(目の所)がある。(文:ウィキペディアより)(2017年9月15日撮影)

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第22回つやまロボットコンテスト国際大会

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 2017年12月17日 10:00~「第22回つやまロボットコンテスト国際大会 決めろシュート!!アイスホッケーロボコン」が津山総合体育館で開催されました。
 今年のロボコンはアイスホッケーをテーマにロボットが相手ゴールへパックを決めて得点を競うロボコンです。
今大会はタイ、オーストラリアの二か国の高校生が、姉妹校である津山高専と呉高専の生徒とタッグを組み参加しました。

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