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大石神社(赤穂市)

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 由緒 大石神社は明治元年、明治天皇の東京行幸に際し、泉岳寺の義士墓前に宣旨並びに金幣を賜ったのを契機に神社奉斎の議が起こり明治三十三年神社創立が公許され、大正元年十一月三日義士を崇敬追慕する方々の奉賛により御鎮座となった。
 ご祭神四十七義士が一年十ヶ月の永い間艱難辛苦の末見事主君の仇を討った事により大願成就、願望成就の神として全国よりお参りを頂いている。境内地は大石内蔵助、同じく家老の藤井又左衛門そして義士片岡源五右衛門、大石瀬左衛門の邸跡一帯である。
 尚、ご社殿を始とする境内各施設は平成十四年の義士討入り満三百年を記念した境内整備事業により一新された。
 その後、浅野家三代の城主長直・長友・長矩の三侯、浅野家断絶後の城主森家の遠祖、本能寺の変で亡くなった森蘭丸等七代の武将を合祀している。

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梅の花(綾部西)

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 いつも通るたびに気になっていた梅林が綾部にあり行って来ました。ここは池だった所を埋め立てた梅林なんだそうです。綾部西梅組合の18人で管理なさっているそうです。梅の木に札が下がっていましたが梅の種類は5種類で、小梅が一番先に咲くのだそうです。そして、一番最後に咲くのが玉英で、主にJAなどに出荷されているそうです。そして梅の花も白・赤・ピンクとあり、梅の花のい~い匂いが漂っていました。(上の写真は2015年3月23日撮影)今年は暖かいのか早めに咲いていました。

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義士木像法安殿・義士宝物殿別館(大石神社)

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 大石神社の境内にある義士木像法安殿なのですが、ここには神崎与五郎と茅野和助の木造があるとお聞きし、神崎与五郎や茅野和助がどのような姿だったのかを知りたいと思い訪ねてきました。
 説明板によると、「大石神社境内には四十七士の討入り関係遺品、浅野家・大石家に伝わる宝物を展示している義士宝物殿・同別館、義士自刀二百五十年を記念 し当代一流の彫刻家による浅野長矩像を始め四十七義士の木像を納めた義士木像法安殿、大石内蔵助邸長屋門・庭園の四ヶ所が資料館として拝観できる。」だそうです。

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白ネギ収穫祭(勝央町)

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2016年2月14日(日)のバレンタインの日に「白ネギ収穫祭」が勝央町豊久田の畑でありました。当日はあいにくの雨が降り開催が心配されましたが、たくましい老若男女&子どもが参加して賑やかな催しとなりました。
「白ネギを袋いっぱい採り放題。パン屋さん提供のピザ生地を畑で焼いて食べるネギピザ。大空会秘伝の白ネギスープ、美味しい白ネギと思いでをお土産に、農業の楽しさと人と繋がる喜びを畑から食卓までお届けしたい。」勝央町農業後継者クラブ大空会の企画でした。

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毘沙門天 柴灯大護摩供 愛染寺(西寺町)

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2016年2月7日(日)午前8時30分から津山市西寺町の愛染寺に於いて毘沙門天王初詣が行われました。毘沙門天とは、戦勝祈願や現世利益をもたらす財宝、福徳の神様です。この日は朝から厄除祈願、諸願成就、商売繁盛、進学成就などを祈願する参拝者で賑わいました。本堂での大般若経転読の後、境内で行われた柴灯大護摩供。風もありもくもくと上がる煙を避けながら護摩木が次々と炎の中に投げられました。また、甘酒のお接待や津山鶴丸太鼓の奉納もあってほっこりしました。

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神崎与五郎・茅野和助直筆の書状が明顕寺にあった。

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真宗 大谷派の寺院、超日山 明顕寺(2015年3月15日撮影)
「忠臣蔵」で知られる赤穂義士の1人、神崎与五郎(1666~17033)が妻に宛てた直筆の手紙や、借用書など7点の史料が明顕寺(相生市陸本町)で発見された。今までは「赤穂義士の神崎与五郎関係の書状」と聞かされていたが、一般に公開されたことはなかったそうです。神崎は城明け渡し後、元禄15年春に江戸へ下向するまでに那波に移住。同寺は同年に那波の得乗寺から分寺したとされるため。
 与五郎は江戸で商人を装い、吉良邸の奉公人らから内部の様子を聞き取るなどして討ち入りに貢献したとされる。(情報提供:真宗 大谷派の寺院、明顕寺)

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グラスハウス附近冬散歩

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2016年1月31日グラスハウス周辺をお散歩してきました。そこで、中睦ましいシルエットにほっこり!
それに、冬だというのにトリムの森では子ども連れで賑わっていました。子どもは風の子、年配者はお散歩。広いグリーンヒルズ津山を散歩すると丁度アップダウンもありで運動不足な方にはおススメです。(前回の取材はこちら)

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第36回 津山市医師会美術展

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2016年2月17日(水)~21日(日)までアルネ津山4階文化展示ホールに於いて「第36回 津山市医師会美術展」が開かれました。目をみはる写真や絵画、手の込んだちりめん細工、鮮やかな色のブリザーブドフラワー、ステンドグラス等々を拝見してきました。

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昔のくらしあれこれ館(河辺)

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 津山市河辺の清水さん宅に昔からあった日常生活用品、農作業用具や新たに収集した古民具などを自宅の納屋の一室を整備し「昔のくらしあれこれ館」として、平成23年11月から展示している。
 展示室は、自宅とともに希望者には開放している。
 津山市立河辺小学校の3年生が毎年、社会科の校外学習で見学に訪れており、当主の清水さんは、展示をしている物の説明をしている。子どもたちは、各々の展示品に興味を示し、昔の五右衛門風呂の説明で薪を燃やし風呂をわかしていたことや煙突があったこと。また、庭先にある井戸の話をすると、めずらしそうに井戸をのぞき込み「どうなっているの水がきれい、どうして汲むの」とたずねる者もおり、煙突や井戸も知らない子どもたちが多くいることに時代の流れを感じると話していた。(文:河辺の歴史を考える会発行の河辺のむかしと今より)(2016年2月19日撮影)

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文化財めぐり(本源寺)

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  2015年12月6日(日)津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐり「森長継の生母 渓花院ゆかりの史跡探訪」があり、本源寺(森家墓所)を拝見してきました。
 本源寺(森家墓所)
 本源寺の由緒:山号は東海山、臨済宗東海派。元は足利尊氏が創建した神戸村の萬松山安国寺。森忠政の美作入国時に小田中に移転。慶長12年(1607)忠政夫人の於岩が没すると西今町の北方に埋葬され、ここへ再び安国寺を移転し龍雲寺と改称、森家から200石の寄進を受けて菩提所となり、元和年間に山号が東海と改められた。寛永11年(1634)に京都で急逝した忠政は大徳寺三玄院に葬られたが、津山の龍雲寺にも供養墓が建立された。天和3年(1683)忠政の50回忌に当たり、法名にちなみ本源寺と改称。(矢吹正則『津山誌』参照)

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