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鏡野八景 尊光院 圓通寺

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 高野山真言宗準別格本山尊光院圓通寺は、元総持院と号した。弘法大師帰朝後この美作の地に密教を広めるため、当山を建立したと伝えられる。
古来より西の高野また二ノ宮高野神社の奥の院と称せられたが、永禄年中福田玄蕃盛昌(毛利の武将)桝形城を築き、寺を外衛として軍士の大半を住居させた。よって城陥るに及び寺も全焼す。
時の院主成瑜法印焼趾に草庵をいとなみ法灯を守る。現在別所と称する土地で、広大な敷地跡があり、昭和二十二年「金銅仏」が掘り出された。
三十八世覚清上人檀越を説き、現在地へ再建された。
 津山森氏入封の後、当寺へ対する帰依浅からず寺領百石を寄進されている。四十七世秀範上人の時、再度焼失したが再建され、本堂の棟木に「寛延四年(一七五一)秀範七十二才これを建つ」の文字が見られ、現在の建物は二百四十数年の歴史を有す。
 近世の高僧として知られる竺道契・新弘栄師(両師に付いては岡山県大百科辞典参照)が住した。寺宝・文化財は数十点有する。(文:美作 高野山真言宗八十八ヶ所霊場HPより抜粋)(2016年12月25日撮影)

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中山神社の御神鏡の拓本と大正3年の写真

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2017年2月7日に中山神社の近くに住む森玄保さんに中山神社にまつわる貴重なお話を伺って来ました。上記の写真は大正3年に建てられたもので、当時の中山神社の拝殿には壁がなかったそうです。それから徐々に現在のような姿になってきたそうです。(大正3年の写真には拝殿の壁がない。)

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「つやま和牛」生産農家大﨏毅さんの牛舎

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2017年2月7日に「つやま和牛」を肥育していらっしゃる久米川南の大﨏毅さんの牛舎をお尋ねしてきました。
 「和牛の歴史:昔はトラクターの代わりに牛を飼っていました。当時の牛の良し悪しは、草などを背中に乗せるのにどんな形の牛が良いかが審査されていました。現在は、形も大切だが、その上に肉質が一番重要視されています。また、和牛は岡山県が発祥の地です。当時は牛は農耕のトラクターのような存在だったが、トラクターが出てきて牛をどうするか?と言うことで昭和40年に岡山で全国和牛能力共進会の第1回が行われました。当時のキャッチフレーズは「家畜が肉牛として使える。」だったように記憶しています。以後5年に1回開催されていて今年が第11回目です。」

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津山まなびの鉄道館 転車台回転実演 DD51-1187

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2017年2月11日の朝に扇形機関車に行って来ました。この日は転車台にDD51形ディーゼル機関車を搭載して転車台回転実演のイベントがある日でした。朝はとても風が強くて寒さも半端じゃ~ない。けれども、遠くからお越しの家族連れのお客様がお出でになっておられたのを考えると感謝でした。それにしても子どもは、機関車庫の中に残っている雪を見つけてはしゃいで元気いっぱいでした。

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武徳殿跡(現中山神社駐車場)

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「武徳殿跡」日露戦役の後、武徳の称揚民間に及び、武徳会津山支所のもとに各所に剣道場が設立されたが、西北部に新進の勢力を助長させるため、大正11年中山神社武徳殿の建設をみ、津山警察署の指導を得て一大進展をみるに至った。かくて勇士雲のようにでて小学校もまたこれに習い、地方の青年有志間においても諸武徳大会に、さらには昭和2年3月大日本武徳会岡山県大会(青年団体の部)優勝という輝かしい成果をおさめた。
昭和18年高田・田邑両村と連合して4ヶ村組合立青年学校を、昭和23年4月組合立津山高等学校中山分校、昭和29年7月に津山市に編入されるにおよび津山東高等学校となり、その後津山市沼の本校に併合され、今は中山神社の駐車場となっている。 (美作一宮の遺産を見つける会発行:美作一宮 郷土の遺産より抜粋)

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兼田荒神社(川崎)

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兼田荒神社の由緒を探していろいろと調べてみましたが詳しいことがわからないので、兼田荒神社の世話役の高山琢三さんに伺ってきました。兼田荒神社は元々川崎八幡神社の末社だったとのことで、詳しい資料は全くないそうです。ただ、代々の言い伝えで町内のみんなで壊れたら建て替えて現在まで守って来られたそうです。(2015年10月18日取材)

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津山市文化協会 主催 芸術文化祭 2016

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2017年2月4日・5日と津山市地域交流センター(アルネ・津山4階)で、津山市文化協会 主催 「芸術文化祭 2016」で賑やかに執り行われました。会場では榕菴珈琲試飲販売もあり、また、ワークショップもあり、ステージ発表もありで大勢のお客様が楽しんでおられました。

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津山城(鶴山公園)にある尾上柴舟碑

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尾上柴舟先生略歴
 明治9年8月20日津山市田町北郷家に生る。本名八郎 23年3月鶴山高等小学校卒業。直頼高に師事して、和歌の手ほどきを受く。25年上京初め大口鯛二ついで落合直文の門に入り短歌を学ぶ。この年尾上家に入る。34年4月東京帝国大学文科国文科卒業。大正12年文学博士となり、東京女高師・学習院教授を歴任。これより前23歳にして短歌結社「いかづち会」を起し、明星派全盛期に対抗して反明星の炬火を掲ぐ。ついで「車前草社」を創立。門下から若山牧水・前田夕暮等、幾多の俊秀歌人が輩出した。
大正3年「水甕」を刊行、これを主宰した。終戦後は毎年宮中詠進歌の選者を努めた。一方、草仮名の名手として現代書道界の第一人者であり、昭和12年芸術院会員に推され日展書道部審査員となった。
叙景詩日記の端より、朝ぐもり・間歩集・ひとつの火・古今と新古今・平安朝時代の草仮名の研究等、歌集著書手本の類は枚挙に遑かない。(文:説明板より)

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地蔵堂(下田邑)

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津山市下田邑から神楽尾城跡へ上る途中にこのような地蔵堂があります。(・地蔵菩薩御真言 おんかかかびさんまえいそわか ・地蔵様と大日様には水をかけないでください。施主)と木のお札が掲げてありました。(2014年5月6日撮影)

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第35回新春タカラ産業まつり

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2017年1月14日・15日と恒例の「第35回新春タカラ産業まつり」がありました。今年のまつりは、この冬一番とも言われる寒さの中にも大勢のお客様が来られ、マグロの解体ショーや、ぜんざいやうどん、たい焼きなどに舌鼓を打っておられました。また、可愛いお花や雑貨、地域のみなさんの手作り品等々沢山のお店が出店していました。
タカラ産業は「デジタル化が進めば進むほど、アナログが必要である」との考えのもと「心のつながり」を大切にしていくとおっしゃる頼もしい河本社長さんです。(2017年1月14日取材)

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