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津山城(鶴山公園)のライトアップ(宮川)

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宮川沿いから見る津山城(鶴山公園)の夜景です。すごく綺麗だったので、思わず撮ってしまいました。昼間のモミジも綺麗ですが、夜ライトアップされたモミジもまたいいもんですね。まるで天空の城です。(2015年11月20日撮影)

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2015年12月のイナバ化粧品店

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今年もあとわずかとなりましたね。イナバ化粧品店を訪れるたびに思いますが、ママがいると店内は賑やかです。いつも店内を見渡してファンの方に声をかけ気を配っていらっしゃいます。サービス精神一杯のママのお人柄だといつも感心します。また、この一年「津山瓦版」にお付き合いいただきありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えくださいね。(2015年12月27日撮影)

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田邊城址(津山市中北上と宮部下)

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田邊城について(2015年5月5日取材)
 田邊城は今からおよそ430年前に建てられた標高約230メートルにある山城です。
 山中には本丸、堀切、土塁、馬場などの跡が残っています。敵の侵入を防ぎ、見張りの役目を果たしたと考えられています。
 所有者の田邊久吾さんによると、この城は田邊さんの先祖が城主をつとめていたそうです。
 十数年前、田邊さんは城跡に戦死者の碑を建立し、桜の木を植樹されました。毎年春には桜まつりが開かれ、将兵や先祖の霊魂の供養をしています。田邊城址(2010.4月29日取材の様子はこちら)

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安産稲荷神社(福渡町)

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 稲荷信仰はわが国の庶民信仰の中心であり、安産稲荷神社の形態は町内神である。創建は森家が美作に入った約70年後のこと。
 昭和18年頃までハスの葉を使った「安産湯」という家伝薬が前原家で売られていた。この前原家の東側に安産稲荷があり、「安産」と係わりがあるのではと考えられる。
 以前は戸川町の突き当たりの場所にあったようだが、江戸時代から残っている竹波(竹並)家の地所に移転したと伝えられている。時期は明らかではない。現在も安産信仰は続いており参拝者は多い。
祭神:宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)創建:延宝5年頃(1677) 祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭 旧初午の日(文:津山城下町まちなかお社巡りより)(2015年12月7日撮影)

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「北川恒夫絵画展」へ出かけて参りました。

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2015年11月27日~29日までアルネ津山4F 地域交流センター アートギャラリーで北川恒夫さんの絵画展がありました。北川さんは絵画グループ「アルモニーア」を主宰なさっていましたが、現在は体調を崩されて止められました。油絵、水彩画で、先生の作品に思い出深いものを感じながら拝見しました。又、息子さんは北川宏人さんです。

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後醍醐天皇御駐輩伝説地(津山市種)

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後醍醐天皇御駐輩伝説地(2015年11月11日撮影)
元弘2年(1332年)3月鎌倉幕府打倒の計画に失敗した後醍醐天皇は、幕府の武士らに護送されて隠岐島に配流された。天皇の一行は京都を発って、山陽道を経て、姫路付近を出雲街道にとり、杉坂峠を越えて、美作に入った。そこにしばらく滞在したのち雲清寺というところに至った。この雲清寺が、ここより東方、約300メートルに碑があるあたりと考えられている。その東約100メートルには、昔からいかなる千害にも絶えることのない清水があり、天皇はそこで顔を洗ったと伝えられる。今も地元の人々は洗顔清水と読んでいる。再び輩の人となった天皇は、この峠を越えるとき遠望する山が古歌に名高い久米のさら山と聞き、自らして筆をとって詩を
 聞きをきし久米のさら山越えゆかん
  道とはかねて思ひやはせし  と詠んだ
 こののち、天皇は院庄に入って、児島高徳のひそかなはげましを受けた。そして再起を期しつつ隠岐に旅立っていった。この非運の天皇をしのび、大正15年土地の人々によって、顕彰碑が建てられ、先の歌を刻み、後醍醐天皇御駐輩跡として後世に譲り伝えている。
 平成21年11月8日 さら山時代祭実行委員会 種町内会御駐連場(文:案内板より)

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第7回 作州津山ふるさと交流物産展「作州とくとく市」

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2015年11月月29日(日)アルネ津山4階地域交流センターで作州津山商工会主催の第7回 作州津山ふるさと交流物産展 "きんちゃい みんちゃい 作州とくとく市" が開催され、津山出身のタイガー福田(禅)、マリッジブルーこうもとさんの凱旋ライブもあり、大勢のお客様で賑わいました。特産品販売の他、地域の特産品が当たるお楽しみ大抽選会では当たった人の歓声が上がっておりました。(2015年11月29日撮影)

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押し花、洋ラン展がアルネ津山でありました。

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2015年11月23日(月・祝)アルネ津山2階吹き抜け周辺にて津山ラン友会主催の「秋の洋ラン展 押し花体験 アルネ津山 」がありました。津山ラン友会の皆さんが、丹精込めて育てた洋ランを多くの人に見てもらおうと毎年開いているそうです。また、会場の一角には洋ランの花を使ったカラフルな押し花の作品の展示コーナーもあって、訪れる人達も楽しんでおられました。

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もみじが美しい大雄寺です。

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 百丈山 大雄寺は慶長の末(西暦1610年代前半)に、森家の重臣 原家の親族である伝室玄悦和尚が開山となり創建されたお寺です。四季を通してとても綺麗な参道があり、城西地区のちょっとしたスポットです。(2015年12月7日撮影)前回の取材はこちらから

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洗顔清水(後醍醐天皇伝説地)(種)

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洗顔清水(後醍醐天皇伝説地)
 元弘2年(1332)3月後醍醐天皇は鎌倉幕府討滅計画の失敗により隠岐島に配流された。その際、美作通過の行程について「太平記」や「増鏡」によると、播磨との国境杉阪から雲清寺、久米のさら山をへて院庄に入ったと推定される。
 このうち雲清寺の所在については直接のてがかりがなく、配流の具体的な道筋はなく不明とされてきた。そこで、幕末の国学者平賀元義らは、久米のさら山を詠んだ後醍醐天皇の歌「聞きをきし久米のさら山越えゆかん道とはかねて思ひやはせし」の「越えゆかん」の句などから、天皇の配流の道筋を押淵から種をへて皿に至る山越えの古道とした。そして雲清寺をここより西約100メートルの多祢神社東の峠付近と考証した。その途中のこの場所には、昔からいかなるひでりにも絶えることのない清水があり、天皇はここで顔を洗ったと伝えられる。今も地元の人々は洗顔清水と呼び、後世に守り伝えている。
平成10年2月 津山市 (津山市案内板より)(2015年11月11日撮影)

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